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私はこの20年近く、折にふれて頻繁にアニメ『おじゃる丸』をNHKのEテレで見てきた。
そして強いインパクトを受けてきた。印象は「脚下省顧」という語に尽きるだろう。脚下照顧とは仏教用語で、あるものを見たり聞いたりして感動したり悩んだりしたときに、「自分の足元(存在根拠、存在状態)を顧みて反省して問い直せ」という意味だという。
おじゃる丸の物語は、現在の日本社会や世界のあり方を著しく相対化し、日ごろの常識や共同主観に深い疑問を提起するのだ。
私はこの20年近く、NHKEテレ(教育放送)で続いているアニメ『おじゃる丸』の深〜い世界にはまり込んでいる。お子さま向け番組と侮るなかれ。その物語が内包する含蓄は、ヘーゲルやマルクスとさほど違いはない、とも確信している。
そのくらい不思議で深い内容なのだ。
そこで、『おじゃる丸』の世界についてwissenschaftlich な省察を試みてみようと思う。
このアニメの原案は、今は故人となった犬丸りん。アニメ映像物語の構成や表現などについて突き詰めすぎるほどに研究した人だと、私は見ている。
このアニメは、不思議な異世界の物語だ。
で、物語の主人公、坂の上のおじゃる丸だが、この小生意気な子どもは、いまから1000年ほど前のヘイアンチョウ――平安朝ではない!――から現代世界とパラレルな異世界の「月光町」にタイムスリップしてやって来た。
そんなヘイアン時代の妖精界の貴族の一人っ子の嫡男だとか。年齢は5歳ほどに見える。それでも巧みに和歌――狂歌に近い形と内容――をものし、朗々と吟詠するのだ。
自らを「雅でやんごとなきお子ちゃま」と言い切る、とんでもなく生意気なガキだ。幼児なりの発想で、自分の「やんごとなさ」を誇示しようとし、周囲の人びとを睥睨視線で見回す傲岸不遜な性格だ。
それでいて、とんでもなく「ものぐさ」だ。ものぐささは、あたかも妖精貴族のあるべき態度だと思い込んでいる節がある。
そんな妖精貴族の幼児がなにゆえに「月光町」の現代世界にやって来たかというと、
ヘイアンチョウ時代のある日、おじゃる丸は貴族としての日常生活やら学習やらに飽き飽き退屈していたことからエンマ界に遊びに行った。
物珍し気にエンマ界を遊歩していると、激務につかれて一休みしていたエンマ大王の杓を拾った。その杓は、エンマ大王が休憩のために傍らに置いておいたものだ。
ふと我に返ったエンマ大王が杓の返却を迫ったが、おじゃる丸は捨てててあったものを拾ったのだから自分のものだと言って杓を握りしめて逃げ回った。そして、取り返そうとするエンマ大王とおじゃる丸の逃げ回り、追いかけっこが繰り広げられることになった。
そのうち、おじゃる丸はエンマ界の「月の穴」に落ち込んでしまった。それは時空トンネルで、おじゃる丸は現代世界の月光町にトリップしてしまったのだ。
おじゃる丸には侍従の虫、電ボ三十郎という電書ボタルが側に仕えている。デンボはとてもよく気が回る侍従で、ものぐさなおじゃる丸の代わりに動き回る。そのために、ますますおじゃる丸は体力が身につかず、何事にも億劫になるというわけだ。
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