補章-4 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
この章の目次
これまでに私たちは、イタリア、地中海方面とドイツ、バルト海方面について、都市商業資本の権力の形成と変動、そして領域国家形成への動きと商業資本の権力との関連を考察してきた。そこで次に、ヨーロッパにおける国民国家の形成の動きを追跡しなければなるまい。それが次章からの課題だ。
そのさい、《国民国家の形成史の考察》というテーマは、それ自体として、すでに見てきたように、「国家とは近代世界に特有の現象である」という公理
theorem (方法論な前提)を含んでいる。この公理とは、歴史的現象としての「国家の十全な姿」は近代以前にはありえないという仮説である。つまり、中世の軍事的・政治的秩序あるいは統治秩序は、本来「国家という形態」では形成されていなかったという見方だ。これは、論証抜きの仮定であって、身も蓋もない言い方をすれば「思い込み」あるいは「好み」でしかないのだが。
ところで、私たち人類の経験的事実として、ほぼ例外なく、近代世界で国民国家にまで成長しなかった領域国家は生きながらえることができなかったということがある。つまり、近代世界においては「国家とはすなわち国民国家である」ということだ。歴史的に完成した国家は国民国家なのだ。
私たちは、国家がない状態から国家がある状態への変動過程を――世界市場的な文脈において――描き出そうとしているわけだ。それはまた、国民国家とは世界経済の形成過程のなかで生じた歴史的現象であるという見方である。それゆえ、国家の形成過程を描くということは、多数の国民国家への――法的でもあれば政治的=軍事的でもある――分割状態をともなう世界経済がどのようにして生まれたのかを分析するということだ。
統治レジームないし政治的・軍事的編成単が「特殊に国家的な形態」「国民国家的な形態」を帯びる歴史的条件を考察するのが、課題なのである。
そのさい私たちは、国家とは、〈ある地理的空間の社会諸関係が、近代に特有な歴史的に特殊な形態において編成されている状態である〉と見るということになる。
では、〈ある特定の地理的範囲の社会諸関係が国家として組織化されている〉ということ die staatliche Organisiertheit は、どのような属性が備わっているということだろうか。ここでの考察に即して言えば、歴史過程のなかでどのような要因・条件がそろったときに「国家は出現した」ないし「国家が存在するようになった」と判断すればよいのだろうか。
中世的統治秩序から「国家」が生成してくる歴史過程を見る場合には、認識上、独特の困難がともなう。というのは、アンソニー・ギデンズがいうように、中世の統治構造ないし政治体には近代国家のような〈国境 state border 〉すなわち〈主権や支配権がおよぶ地理的空間の境界線(システム)というもの〉が存在しないからである〔cf. Giddens〕。
中世には、完結したひとまとまり、一続きの領土を排他的に支配するシステムはなかった。それぞれの有力な領主や君侯の名目上の統治圏域(王国や公領、伯領など)は、国境システムによってではなく、曖昧模糊とした辺境
frontier によって縁取りされていて〔cf. Giddens〕、辺境の領主たちはしばしば辺境の向こう側に封土=領地をもち、ゆえにまた、複数の君主に対して臣従の誓約をしていることがしばしばあった。また、多くの場合、ある1人の君侯や有力領主の統治圏域は、そのあちこちに別の君侯・領主の統治圏域が飛び地のように割り込んでいて、あたかもまだら模様のように分散していた。このことは、中世晩期に形成され始めたばかりの領域国家にもあてはまる。
境界の不在ということは、対内的には「一体的に統合された領土」がないということだ。そして、ある一定の地理的範囲で名目的に王国や公国、伯領などが成立していても、地方領主や都市などあれこれの地方の統治権力の担い手たちが特定の王や君侯とパースナルな臣従関係を結んで集合しただけで、共通の行財政装置(権威の伝達装置)があったわけでもなく、それぞれの領地は互いに領土的に結合していたわけではなかった。ゆえに、王国や公国、伯領のなかにはまだら模様に外部の王や君侯たちの支配地=飛び地があるのは当たり前で、領主層のなかには複数の君侯に臣従したり、辺境の向こう側(別の君侯の統治圏域)に所領や支配地を保有したりする者も多かった。
王国や公国、伯領などにおける王や公、伯という君侯の権力は、域内で最大の領地と収入をもつ最優位の領主としての地位を保持するかぎりのものであった。しかし、最有力の君侯の領地(王領地)もまた、通常ひとまとまりではなく分散していて、権威や情報の伝達もままならず、彼らの統治機構はあれこれの所領で個別に機能する家政装置の寄せ集めにすぎなかった。
したがって、中世史は「フランス史」や「ドイツ史」などとして描くことはできない。このような「国民史 a national history / Eine Nationalgeschicht 」は、近代国民国家の形成過程のなかで生み出されたイデオロギーであって、国家が出現したのちになって国家が組織化・指導したアカデミズム運動をつうじて、ナショナルな単位の社会の持続性や独自性を定式化するためにつくりだされた思想にすぎない。ゆえに、無自覚な各国史の記述に陥らないように注意が必要だ。
とはいえ、私たちは、世界市場的文脈ないしヨーロッパ的文脈のなかに位置づけながら、のちにそれぞれ国民国家としてまとめあげられる地理的範囲――フランスやイタリア、ドイツなど――を叙述のまとまりの枠組みとして使用せざるをえない。今のところ、それしか総括の枠組みが見当たらないからだ。つまりたとえば、その時代には「フランスなるもの」は存在しなかったが、将来にフランス国民国家となるはずの地理的範囲の歴史を描く、ということになるわけだ。
さて、このように中世の統治秩序は、〈国家としての属性=国家性 Staatlichkeit 〉――国家らしさと呼んでもよい――を備えていなかったのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成