はじめに

  私は1970年代末から、資本のトランスナショナリゼイションあるいは資本の世界化という文脈のなかで「国家という特殊な存在」の歴史をとらえ直す作業を始めた。
  その一連の研究のなかで問題関心と考察枠組みをいく度も練り直してきた。こうした練り直しは《資本の世界化と国民国家》というテーマをめぐる理論史の整理に結びついた。
  ここでは、出発点として、理論史の総括という形で考察対象と方法の検討経過をまとめておこう。そうすることで、研究全体の大まかな構図を示すことができるだろう。
  それはまた、私の研究の学説史的な前提=出発点を確認することになる。
  まず、この作業の起点になったのは、

  • なぜ、どのようにして近代世界経済の政治的な仕組みが《多数の国民国家が存在するという状態》になったのか
  • それは資本による世界市場の制覇と支配のためにどんな役割を果たしたのか
  • そして今日、世界企業が資本蓄積の支配的な形態になり、トランスナショナリゼイション、つまり「資本の権力」の国境を超えた組織化がさらに進むであろう世界経済のなかで国民国家はこれからどうなるのか、EC(今日のEU)のような国境を超えた政治的・行政的組織が国民国家に取って代わる状況がやってくるのか

という疑問である。だが、これらの問題の前提として

  • そもそも《資本主義》とは何か
  • 《国民国家》とは何か
  • 《資本の世界化》とは何か
  • 《世界経済》とはどういうシステムなのか
  • そして資本主義にとって国民国家というものはどういう意味をもっているのか

というより根源的な問題群が横たわっている。これらの問題群は《近代世界経済》そのものの成り立ちの歴史を追いかけることでしか考察できない問題である。

  私は、近代世界経済というものを《資本の支配》という文脈を中軸として読み解こうとしている。とすれば、まず《資本とは何か》について説明しなければなるまい。
  とはいえ、この一連の研究全体を通してはじめて《資本とは何か》《資本主義とは何か》が明らかになるはずのものである。ここでは、さしあたって考察の出発点として、辞書的な用語法として資本の意味合いを述べておく。
  たとえばカール・マルクスは、商品生産と資本家=賃労働者の敵対的階級関係を基礎とする「剰余価値の生産関係」「剰余価値の領有関係」が「資本の本質」であると述べている。
  これに対して、世界経済での権力関係に注目するイマニュエル・ウォーラーステインは、資本主義とは世界システムの1つの特殊な歴史的形態であって、世界的規模で編成された社会的分業体系の独特の構造をともなっている、と言う。
  この構造とは基本的に《中核=半周縁=周縁》という3層の支配=従属のシステムをなしていて、そのなかで軍事的・政治的単位としての多数の国家が相互に対抗・同盟しながら、優位を追求し、あるいは世界分業での地位を上昇させようともがいている。
  こうして、世界システムの総体の歴史的属性として資本主義という名称を与えている。
  そのさい、世界市場での商品販売をつうじて利潤の獲得をめざす経営体であれば、その基礎となっている労働形態が奴隷制であれ、農奴制であれ、自由な賃労働であれ、資本主義的であるとみなして、このような経営体を支配する階級の権力によってその再生産が構造化されている世界経済の総体が資本主義であると規定している〔cf. Wallerstein02〕

  またフェルナン・ブローデルは、ヨーロッパの中世後期から、王権や国家装置と結びつきながら世界貿易や国際金融を支配する特権的商人や企業の権力を資本主義と呼んでいる。
  つまり、世界貿易の構造から生み出された力、世界貿易を組織する商業資本の権力が、生産と流通、消費を支配・征圧した状態が資本主義なのだ〔cf. Braudel〕

  私は、《資本》というものを《──国家をその支配の不可欠の要素としながらも──はじめから国境を超えた社会関係・権力体系・運動・組織》だったと見ている。
  はなはだ抽象的だが、経済活動や社会生活の全体を支配し、方向づける仕組み、実体、社会関係といったものである。
  そこで、近代世界市場とともに生み出された、経済的資源の支配をめぐる企業間の競争、そして富の生産・分配・消費をめぐる諸階級、諸地域、諸国家あいだの敵対や結合の関係を描くことが、資本というものを認識することだと考えている。

  ここでは考察の出発点として、さしあたって《企業経営という形態で組織された、剰余価値への支配権力》を資本の意味合いとしておく。ただし、それは社会的に組織された権力であって、必然的に政治的に組織された凝集性をともなっている。
  これは、マルクスの《資本:Das Kapital》のなかでの記述の表現を少し変えたものにすぎない。
  何も説明されていない出発点でのイメイジであって、最も内容の乏しい用語説明にすぎない。

  そして考察の進行につれて、《資本》《資本主義》という概念の内容が深まり広がっていくはずである。
  だから、これは「本質」規定ではない。叙述の全体をつうじて描かれる歴史と構造が資本主義の概念なのだ。
  ゆえに、最初の踏み台としてマルクスの方法を利用するけれども、《資本の概念》はやがてマルクスの狭っ苦しい方法・理解をはるかに超え出て、歴史的過程の豊かな総括になっていくだろう。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 サイトマップ◆

◆各章や節のアブストラクト◆

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望