第2編 商業資本の世界市場運動と国民国家

この編の目次

はじめに 第2編の内容

はじめに 第2編の内容について

  私は数年前に『世界経済における資本と国家、そして都市』というサイトを立ち上げ、「第1篇 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市」という研究論文をウェブデザイン編集して公開した。
  この論文は、1979年から1985年まで博士課程在学中に博士論文として準備したが、家族の事情で満期退学したため完成しなかったものを、若干修正補充したものだ。
  研究内容は、世界市場的な文脈のもとで中世中期・後期から近代初期までの時期――12世紀から17世紀末――におけるヨーロッパの主要な国民国家の生成過程を分析し総括するというものだった。
  考察と主張の眼目は、近代国民国家がなぜ、いかにして形成されたのかという問題、つまり近代国民国家の形成の歴史は世界システム論的な視座からしか把握できないということだ。一国的な考察を単純に寄せ集めてもこの問題は理解できないということだ。

  私の研究はカール・マルクスの『資本』と『政治経済学批判要綱(手稿集)』を出発点に据えているが、それはマルクスを称賛するためではなく、その限界=一面性を剔抉して、それを克服する方法を模索するためだった。マルクスは踏み台でしかない。
  もっとも、マルクス以上に魅力的な資本主義的社会システムについての総体的・批判的分析方法を提示した理論家はほかにいないのも確かだ。方法論的にはマルクスを出発点に置くしかなかった。
  マルクス自身が明言しているとおり、『資本』では、

総体としての貿易世界が単一の国民国家からなるものと仮定し、その内部ではいたるところで資本主義的生産様式が十全に確立されあらゆる生産部面を制圧しているものと仮定する

という前提で考察がおこなわれているため、そもそも資本主義的世界経済が多数の国民国家に政治的・法的・軍事的に分割されているという状況はまったく説明できないのだ。つまり、現実に存在する資本主義に対する認識や批判が論理的に成り立たない、ということだ。
  これがマルクスの『資本』と「政治経済学批判」構想の根本的な限界=欠陥なのだ。『資本』で描き出された「資本概念」のどこを突いてみても、国民国家の出現の必然性も、世界の諸資本が国民 nation という政治的=軍事的単位に分立しながら世界的市場での資本蓄積競争を繰り広げるメカニズムも導き出すことはできないのだ。
  したがって、そういう世界経済のなかで資本主義の没落と社会主義革命の必然性を導くこともできないということになる。
  さらに、マルクスの Dialektik―― 一般に「弁証法」と訳されるが、私は「対論法」と訳す――や認識論は一面的で間違ってさえいる。弁証法的歴史観にもとづいて、まず経済的再生産を自律的に運動する土台として考察し、しかるのちに政治的・法的上部構造をその土台に積み上げる形で分析・叙述するという方法論は、動態的な歴史過程の認識には役立たないどころか、むしろ有害ですらある。
  私が提示する認識論に立てば、一国的規模での社会主義革命は不可能であって、ソヴィエト革命は社会主義革命ではありえない。というよりも、世界システムとしての資本主義がひとたび成立した世界ではおよそ社会主義革命は不可能となる。人類が滅亡を避けるためには、資本蓄積競争の破壊作用を抑制するための改革を繰り返すしかない。資本主義は資本蓄積競争――欲望の暴走や格差と敵対の増殖をもたらす――それ自体の破壊作用で人類を滅亡に導く可能性が高いが、没落してそれに代わる社会システムが出現することはありえないだろう。
  そういう立場から、第1篇の考察では、方法論的な検討にかなりの労力を費やすことになった。

  さて、イマニュエル・ウォラーステインが言うように、近代世界は世界システムとして形成されたのだが、その政治的・軍事的な内部編成として多数の国民国家への分割という状態をともなうものであった、ということだ。資本主義的世界経済は、その政治的・軍事的編成様式として「諸国民国家の体系 Nationalstaatensystem 」――多数の国民国家への分割状態――をともなっているのだ。
  まず各国民国家の個別に描いて、しかるのちにそれを集めて世界経済を描く、という方法――spill-over method――では問題を理解できないということだ。実際の歴史としては、ヨーロッパでは、まずはじめに「ヨーロッパ世界」ないし「ヨーロッパ世界貿易」なるものが生成し、その形成が進むとともに生き残りをかけた領主層の権力闘争が拡大深化して領域国家群、国民国家群が形をなしていったのだ。「個別国家から世界経済へ」ではなく、「世界経済から国民国家へ」というのが、あるがままの歴史の論理なのだ。

  大風呂敷を広げて気負った言い方をすれば、ごく断片的な研究に終わったカール・マルクスの『資本』の続編を「本源的蓄積」の部分から説き起こして叙述してみようという試みだった――「史的唯物論」の偏頗な視点を超えたヘーゲリアンとして。   ウェブサイトへの過去の研究成果の公開は、今後、世界システム論的な視座から国民国家の存在構造や歴史を分析しようとする若い研究者にとって参考資料となれば、という想いを込めてのものだった――還暦を過ぎた者が何かを残したいという願望を込めて。
  インターネットの世界では、こういう固い学術研究論文はまず読まれることはないだろうと思っていたところ、熱心に全編を読み通してくださった方もいて、私が公表した対象時期以降についても私の視点や方法、考え、見通しについて知りたいという要望をいただいた。
  とはいえ、私は学術研究の専門な研究の世界から離れて30年以上もたつので、その時期以降の研究についてはさしたる成果はないというのが実情だ。
  それについて私は、断片的な覚書(ノート)としては、17世紀末から1960年代までの世界経済の動きと欧米諸国民国家の変動についての考察――理論史的な研究――をつくってあったが、まとまった内容には程遠いものでしかない。しかも散逸してしまったものも多い。
  さりながら、暇を見つけて作業し、今後の若手研究者に手渡す資料として、ネット上に公表できる範囲でまとめてみようと思い立った。ただし、私が健康に生きているあいだにどこまで集約・公開できるか、はなはだ心もとない。
  というわけで、このたびウェブサイトに公開する内容は、したがって、相当に断片的なものでしかないということを言い訳がましく述べておきたい。

  今のところの現状では、世界経済のヘゲモニーを掌握していくことになるブリテン国民国家の成長と展開・確立にとって決定的に重要な契機となったイングランド東インド会社の出現と膨張、衰退の歴史物語――第3章――を中心に据えて、第2編を公表しようと試みることになる。
  商業資本の世界市場運動 Weltmarktbewegung des Handelskapital のひとつの典型的な形態として、イングランド東インド会社の歴史を考察しようというわけだ。 そのさい、論理的には、18世紀以降の中核地域のヨーロッパにおける列強諸国家の対抗関係――ことにプロイセンという新たな国民国家の形成やらフランス革命やらなど――とか世界経済全体の変動過程について、大まかな構図を示しておかなければならないだろう。そして、18~19世紀をつうじてのブリテン国家そのものの成長、制度的な濃密化・稠密化、階級関係の変動、総体としての資本蓄積様式の変化、世界貿易構造の変動についてもしかりであろう。
  これについても、かつての断片的なノートをまとめた内容をできるだけ早く公開しようと考えている。が、進捗については、見通しがあまり芳しくないのが実情だ。   読者のなかで、自己の問題意識からして聞きたいという問題があれば、以下のアドレスにメイルをいただきたい。検討し、答えられる範囲で返答したいので。    ken.yamakoshi@gmail.com

  以上に述べたことから明らかなように、私は次の2つのキーワードを軸として近代世界経済の構造を読み解こうと試みたのだ。 すなわち、《 諸国家体系:多数の国民国家からなるシステム 》 と 《 資本の世界市場運動 》だ。
  もっと哲学的・衒学的な表現をすれば、《資本の国民性 nationality と世界性 globality 》の相関という視点だ。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第2篇
 商業資本の世界市場運動と国民国家

◆全体目次 章と節◆

第1章
 17世紀末から19世紀までの世界経済

第2章
 世界経済とイングランド国民国家

第3章
 ブリテン東インド会社