用語に関するノート 2

ヨーロッパの知識人の起源

中世はじめのヨーロッパで修道士は、古代ギリシア、ローマ帝国以来の古典的知識や専門技術、教養を身につけた知識人だった。

彼らはヨーロッパ各地を遍歴しながら知識や技術を学び、そして民衆や支配階級に識字能力や農耕技術、工芸技法、建築技術、統治技法、政治や法律の知識などを伝達していった。
彼らはやがて、各地に学術研究や実践のための拠点を建設し始めた。

10世紀以降には、各地に学術研究のための組織や学舎が生まれ始めた。
イタリアのボローニャ(11世紀)、パードヴァ(13世紀)、フィレンツェ、ピーサ(14世紀)、次いでフランスのパリのソルボンヌ(15世紀)、カタルーニャのバルセローナ(15世紀)、そののちにはイングランドのオクスフォードやケンブリッジ(13世紀に学寮の基礎ができた)に、神学やメタフィジークを研究する修道士たちの協同組合が結成されていった。
最初はイタリアのコレージォが母体となって、それらの出身者たちがフランスやエスパーニャに派遣されて各地の大学の基礎をつくり上げ、やがてパリのソルボンヌ学舎のメンバー集団がイングランドやドイツでの大学設立の母体となっていった。

たとえば、パリ中心部にはカルティエ・ラタン(直訳するとラテン人=イタリア人街)という街区がある。そこには、ソルボンヌ学寮の設立や運営、その後の教授指導や研究のために、何世紀にもわたってイタリア出身の学僧・修道僧がやって来て集住した。そのために、ラテン人街という呼び名がつけられたのだ。

ヨーロッパ各地を遍歴しながら研究や実践する修道僧たちは、そういう拠点=組合に身を寄せて学び合い、教え合い、共同研究や学術の分業を組織していった。
こうして、コレージュ(もともとは同僚とか仲間という意味)とかユニヴェルジテ(やがて総合大学となる)などと呼ばれる組織ができ上がった。研究する修道僧の協同組合(学舎)は、やがて大学と呼ばれる研究機関に成長していくことになった。