用語に関するノート 3

イングランド王権の皮肉な幸運

イングランドは、ヨーロッパで最初の国民国家を形成することができた。偶然の連鎖による皮肉な結果だった。

中世には、イングランドはヨーロッパ大陸の植民地のような地位にあった。
イングランドの語源はラテン語のアングリアで、8世紀頃から、アングル=ザクセン族が北欧・北ドイツから移住植民して、ケルト人を駆逐しながら多数の集落を建設したことから、名づけられたものだ。
その後、11世紀にかけて、北フランスを経由してノルマン人(フランク族)が植民し、フランスの有力君侯(ノルマンディー公)がイングランドを征服し、王位に就いた。イングランドは、フランスの大領主の属領となった。

やがて、14世紀にはイングランド王を兼ねたフランスの君侯(アンジュー家)が、フランス王位をめぐってヴァロワ家と争うことになり、百年戦争が展開する。
長い戦乱の結果、ヴァロワ家を盟主とする貴族同盟が勝利し、アンジュー家門はフランスから追い払われ、イングランドに逃れた。
大陸フランスの広大な所領を失った君侯は、辺境のイングランドで王権を確立していくしかなくなった。
その当時、イングランドの経済はヨーロッパ大陸の商業資本に全面的に従属していた。おおざっぱに言うと、金融的には北イタリアの金融商人に、実物貿易では北ドイツのハンザ同盟に支配されていた。
イングランド王は、そういう域外の富裕商人たちから運上金や賦課金・税金を受け取るのと引き換えに、彼らに金融や貿易・商業での特権を与えていた。そのため、域内の農業や牧羊業、製造業はイタリア商人やドイツ商人に従属し続けていた。

ところがやがて、ロンドンなどの主要都市の商人層が成長して結集し、組合団体を組織して、多額の税や援助金の支払いの見返りに、王権から貿易・商業特権(特許状)を獲得した。商人団体は王権に接近するようになる。
そして16世紀には、イングランド域内の富裕な特権商人団体は王権と結託・同盟して、域内の製造業を統制・組織化する権力を手に入れた。
やがて、富裕商人層は豊かな資産に物を言わせて所領を獲得し、王から叙爵され、王の周囲に結集し宮廷を支える有力貴族集団となっていく。
イングランド王としても、王権を強化し大陸の王権から自立化するために、域内の特権商人をつうじて商工業を育成・組織化する必要性に気づいた。

そして、イングランド王室は「宗教改革」を開始する。王権や有力貴族たちはローマ教会や修道院の所領や資産を没収し、教会組織と結びついたイタリア金融商人の権力を切り崩し、金融特権を域内商人に売り渡した。王はアングリカン教会のトップの地位を手にした。

イングランド王権=教会の自立化が気に入らないカトリック派のエスパーニャ王権やフランス王権は、教会改革阻止のために執拗に干渉を繰り返したが、失敗する。

大陸から海によって隔てられている島嶼=イングランドは、かなり小さな軍事力で大陸の諸王権による軍事的干渉を回避することができた。軍事費を抑えることができた。
これに対して、互いに陸続きで隣接し合う大陸の王権は、域外の権力の介入から自立するために大がかりな軍隊が必要で、その分、巨額の財政支出を強いられていた。域内の地方貴族に手こずっている隙に、近隣の君侯によって足元をすくわれることも多かった。

イングランド王権は、比較的小さなリスクとコストで統治装置を組織化し、地方貴族の権力を制限して集権化を進めることができた。