用語に関するノート 2

革命思想の陥穽

私たちは今、ロシアや東ヨーロッパなどで「社会主義革命」の思想が客観的にどういう社会の仕組み・実態をもたらしたかを知っている。
恐ろしいほどの民衆への抑圧と階級格差、貧困をもたらしたことを。
もっとも、だからといって、日本がそれほど自慢できる社会なのかについては、まったく自信がない。それでも、一定の市民権や自由が保証されているのは確かだろう。

さて、ナウシカの世界で、かつては革命と民衆解放の理想に燃えた少年が、冷酷でニヒルな独裁者になって、民衆を蹂躙する物語が展開された。
なるほど、人類社会には、支配者の横暴、ひどい階級格差や抑圧、困窮に満ちている。ゆえに「変革」は必要だとは思う。

ところが、「革命思想」という体系的な価値観やイデオロギーにまで発展すると、えてして極めて有害なものに変質してしまう。
なぜだろうか。
たぶんそこに、革命勢力の組織論・運動論とか、権力闘争、権力奪取・掌握、獲得した権力の運用や行使に関するプログラムや発想があるからではなかろうか。
何よりも、自分たちが建設しようとしている社会・レジームが、これまで人類が経験したうちで最高・最良の状態になるものだ、という価値観が「落とし穴」なのではなかろうか。

たとえば、社会主義思想には「前衛党」とか「指導エリート」の思想がある。そこには、民衆=大衆は革命エリートのリーダシップを受容・従属するべきだという価値観が潜んでいる。

もっとも、それはイングランドやフランスで近代化や市民革命を領導した思想にも含まれている。マルクシズムは、それを受容して組み換えたものでしかない。
そこには、自分たちが造ろうとしている社会・レジームは、これまでの人類に歴史、過去の諸段階に比べて「最高の段階」にある、という発展史観が含まれている。

じつは私も、かなりの程度そういう発想に呪縛されている現代人の1人なのだが。
知識や経験、歴史を体系的に理解しようとすると、どうしても体系化の尺度として、価値観の序列を持ち込むことになるから。