補足的資料 2

王室財政と金融家

20世紀になると、ヨーロッパ諸国家では法制度上、政府部門と民間部門との区別が明確になっだが、19世紀までは、政府部門ないし公的部門と民間部門ないし私的部門との区分はかなり曖昧だった。
投票権がエリート諸階級だけに限られている限り、政府の財政を誰が取り仕切ろうと、それゆえまた民間の企業家と政府財政が癒着していようと、利害の結託があろうと、なんら政治的に問題とされ、責任を問われることはなかった。国家の政治とか統治とか財政の運営は、特権諸身分が完全に支配していたからだ。運営の状況や経過に関する情報が、そうした特権諸階級の外部に知らされることもなかったし、度外れに乱脈な運営をしなければ、その活動の正統性や合法性が一般民衆に問われることもなかった。
しかも、当時は身分制秩序が社会全体を強固に覆っていた。政府の要職や企業の指導的地位には、貴族称号を持つ名望家系や特権的富裕層が居座っていて、政策の運営や許認可権の運用は彼らの地位すなわち身分的特権と密接に結びついていた。その特権をどれのように行使しようと、外部の人びと、ことに一般民衆がとやかく言うことはありえなかった。
イングランドでは現代まで王家を筆頭に身分制=貴族制が残っていて、特権身分である貴族層は、貴族院への結集をつうじて国家機構のなかできわめて大きな役割を演じている。大衆民主主義が定着した現在でさえそうであるならば、市民革命期にはどれほどの権力や影響力を保有していたかは、想像できるだろう。

政府財政を運用管理していた金融家には貴族称号を持つ者たちも多かった。そういう特権的身分が、王権政府への接近や取引関係を可能にしたのだ。世紀の俸給のほかにも、特権的業務にともなう収入があった。それは、政府財政の運用をめぐる権益や利権を分与した相手からの謝礼や利益供与であったが、それは賄賂とは見なされなかった。
というのも、彼らのパースナリティに付随する特権をどのように行使して、どのように利得や利権を生み出そうが、それは身分秩序によって正統化されるべきものだったのだ。