補足的資料 2


curia regis :ラテン語

conseil du rois / conseil royale:フランス語

Royal Council / King's Council / King's Court:英語

Witenagemot:アングル=ザクセン地方の古ゲルマン語

Magnum Curia:ラテン語

ブリテンでは、王権の政治装置の名称を最も古い時代にはラテン語で歩表記し、やがて15世紀頃からフランス語となり、宗教改革にともなって英語表記となり、18世紀以降には英語表記が標準化していった。ただし、王族や有力貴族層は、18世紀までインナーサークルではフランス語を用いていた。

Star Chamber / camera stellata

 ブリテンの歴史では15世紀末葉から16世紀半ばまで、テューダー朝による絶対王政の形成やステュアート朝の専制統治における主要な国家装置として、さらに市民革命期に革命派の打撃の対象となった王権装置として Star Chamberという用語がいく度も登場する。当のブリテンの歴史家たちはスター・チェインバーをさまざまな文脈で取り上げているが、残念ながら、歴史家たち自身が混乱して、この同じ用語が場面ごとに異なる制度や組織をさすものとして用いられていて、整理されても統一されてもいない。
 Star Chamber ――ラテン語表記で camera stellata ――は、星室庁と邦訳されることもあれば、星室裁判所と邦訳されることもあり、さらに王の顧問会議、あるいは枢密院(枢密評議会)と邦訳されることもある。この用語は、日本の研究書や論文でも訳が混淆していて、やはり整理されていない。そうなるには、それなりの理由がある。私なりにここで意味合いの多様性や混乱の背景や理由について説明しておく。

 Star Chamber とは本来、15〜16世紀、ウェストミンスター王宮のなかで王座を設けた部屋の呼び名である。この部屋は、バラ戦争――王位をめぐる貴族同盟の間の武力紛争――の結果、15世紀末葉にイングランド王位を手に入れたテューダー家のヘンリー7世が設けたものだという。天井に星の装飾を施したことから星室(星の間)と呼ばれていた。集会や儀式を開催できるホールのような王の執務室だった。
 その後、17世紀にはステュアート朝の王たちが、専制的統治のために議会庶民院やピュアリタンをはじめとする反王派を弾圧・粛清するための法廷として星室を利用した。そのため、ピュアリタン革命の起点となった反王権闘争のなかで1641年に廃止された。
 やがて1834年の火災でウェストミンスター王宮の大半が消失し、その後再建された宮殿が貴族院および庶民院の双方を含む議会議事堂となり、現在にいたっている。
 15世紀末葉から16世紀にかけて、テューダー王を創始したヘンリー7世とその衣鉢を継いだヘンリー8世は王権統治機構の再構築や集権化、さらに教会再編のために、この星室に王の顧問官や有力貴族や高位聖職者を召集してさまざまな会議を開催した。さらにはロンドン市の特権商人団体などを集めて彼らの請願・訴願を聴聞して裁定を下すこともあった。ときには王令を発したり、政策を立案したりすることもあれば、裁判をおこなうこともあった。
 13世紀から歴代の王たちは王国内各地の王宮を巡回して顧問会議や身分評議会など統治をめぐる行事を挙行したので、ウェストミンスター王宮だけが王の統治の拠点だったわけではない。とはいえ、王がロンドンに滞在するさいには、この王宮で統治に関する執務をおこなう場合が多かったという。
 この宮殿の王の執務室では、歴代の王たちが conseil du rois (フランス語)やがて King’s council(英語)と呼ばれる会議――を主催した。星室もそうだった。ここには王座 King’s Bench があるので、王座裁判所 Court of the King’s Bench とも呼ばれることもあった。王たちはかなり恣意的あるいは専断的に集会を召集・運営し、さまざまな名称を冠したので、後の歴史家たちは混乱することになった。
 星室での会議を規制する法令もなかったうえに、王権の政治組織は未成熟で未分化だった。歴史家たちは、さまざまな文脈でそれぞれに独自の解釈を試みてきた。