760―800年頃の西ヨーロッパ

  この絵地図は、8世紀後半から末にかけてのヨーロッパの状況を概略したもの。
  さて、フランクの大王国の版図は、黄緑色の範囲がシャルルマーニュが征服した名目的版図。ポメラニアからボヘミア、フンガリア、アウストゥリアにいたる王国辺境領は、ザクセン諸族などによる植民や開拓が進んでいたが、西および南スラブ諸族との混住地域で、有力な部族長がフランクの宮廷に名目上臣従を誓約しただけのもの。だが、当時のヨーロッパはほとんどが自然林などに覆われていた。人類の居住地は、地中海沿岸を除くと、森林の大海のなかに浮かぶ孤島のように点在・散在していた。
  したがって、今日の国民国家の領土や勢力圏と同じようにイメイジすることはできない。
  ところで、イベリア半島の大半はイスラム勢力が統治していたが、その北部にはキリスト教君侯領(諸侯国)がいくつか形成されていた。北西部では、諸侯国が連合してアストゥリアス王国を打ち立てた。北東部の諸侯国は西フランク(フランス)王国に属するものと観念されていた。