補足的資料 1

攻城兵器としての火薬、カタパルト、大砲

敵側の砦や陣形を崩すための兵器として古くからカタパルトが利用されていた。
中世晩期に火薬の開発が進むと、カタパルトの焼夷弾として繊維に浸した油に火薬を加え、その破壊力と爆風・音響で敵の城を破壊したり、城砦防衛の陣形を崩す戦術が発達していった。
やがて銃砲の発達の時代がやってきた。青銅製の筒のなかに鉄や鉛の砲丸を入れ、その後ろに火薬を詰めて密閉し点火し、爆発させ、砲丸を発射して敵陣に撃ち込むようになった。


カタパルト catapult : from Howard, ibid.

大砲 cannon gun : from ibid., op.cit.

ただし、火薬の成分や量の問題とか、砲筒の強度―鉄製の砲筒は破裂しやすかったが、やがて青銅合金が使われるようになった――や耐久性には大きな欠点があって、悲惨な暴発事故が絶えなかったようだ。それでも、攻城戦での破壊力のために、大砲が利用され、試行錯誤をつうじて技術開発が進んだ。技術開発の最先端を走っていたのは、レコンキスタで攻城陣地戦を展開したイベリア半島だった。

攻城砲戦術は続いてイタリアに持ち込まれたが、多数の都市が近接し合う地理的状況のせいか、決定的な戦法とはならなかったという。むしろ、イタリア戦線で攻城砲戦術を体験したフランス王軍が、広大な領地を転戦する自国の戦役(百年戦争)に攻城砲を持ち込み、プランタジュネ家派の城砦の破壊に活用し、火縄銃の活用とも相まって、彼らを大陸から駆逐するうえで大きく役立てた。
だが、この最新兵器はとてつもなく金がかかるうえに、歩兵を砲兵隊とその護衛槍兵団に仕立て上げる訓練にも相当な金と時間がかかった。しかも、戦場ではとてつもなく重い大砲や砲丸の運搬のために多数の輜重(人馬)隊が必要だったうえに、運搬中に大砲や砲丸が地中に沈まないように戦場に軍路――場合によっては橋梁――を建設整備する工兵隊も準備しなければならなかった。つまり、ヴァロワ家王室は戦費調達――戦費割当税(タイユ)導入――のために総評議会を開催して多くと都市や商人団体を説得し、さらには反抗しがちな農民を宥めなければならなかった。

火砲の導入は、歩兵団の人員と機能を、砲兵や火縄銃隊、槍隊、輜重隊、工兵隊――1人の歩兵が複数の専門技能を習得する場合もあった――などの専門技術を備えた集団に分割し、かつまた協働連携させるための訓練や装備、指揮・連絡体制を必要とさせた。つまりは、戦争に分業と協業を持ち込むことになった。やがて、この方法が産業(製造業の大規模工場)に持ち込まれるようになる。軍事技術が産業を先取りし誘導したのだ――これがヨーロッパの軍事革命の特徴であって、産業革命よりもはるか以前から工業の組織化の土台を準備していたのだ。
その意味では、破壊と殺戮が近代資本主義を準備したともいえる。