用語に関するノート 1

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ブリテンの都市自治体(カウンスル)

イングランドでは自治権をもつ行政単位をカウンスル coucil と呼ぶ。その来歴は、都市の自治権獲得の長い歴史による。

中世ヨーロッパの都市建設

 7世紀から11世紀にかけて、古代ローマの都市遺構や交通の要衝には、ローマ教会が主導して聖堂や修道院とそれを取り巻く集落の建設が進められた。
 ところが、そういう都市には修道院や教会・聖堂の僧侶やその従者(騎士身分を含む)たちは、建築土木業者(専門の修道士がほとんど)のほかに、衣食住のニーズをまかなう手工業者や小商人の一団を引き連れて、都市建設を進めていた。
 やがて、教会組織の収入が増えてくると、そういう都市に遍歴商人の一部が定住し始め、交易のための製造業をも組織するようになった。商業や製造業の管理をめぐる権利は、都市領主としての司教や僧侶への高額の納税・賦課金と引き換えに与えられる特権(特許)だった。
 このほかに有力領主たちによる都市建設や農村開拓が展開した。領主たちは都市建設を請け負う商人団体や都市への移住者に免税特権や通商特権などの特許を与えて優遇した。
 やがて諸都市を遍歴する商人たちによって諸都市を結ぶ遠距離貿易の経路が形成されていった。遠距離貿易は巨大な利潤を生みだしたので、都市定住商人はまたたくまに成長し、富と影響力を獲得していった。

 イングランドでもローマ帝国の属領植民地ブリタニアの統治や兵站の拠点として都市集落ロンディニウム Londinium が建設されたが、帝国崩壊後、その廃墟・遺構の近傍に都市集落が再建されていき、その後の経過は以上と似たようなものとなった。  

商人団体が自治権を獲得

 富裕商人層は団体――参事会:イングランドでは council 、ドイツでは Ratと呼ばれた ――を組織し、都市内での権利の拡張のために司教や僧侶、その従者としての騎士たちと争い、交渉することになった。
 やがて、商人団体は市場の開設権や建築許可権、さらには課税や城塞建設などの権限を買い取っていった。
 こうして、まもなく都市集落全体を統治し軍事的に防衛する(軍隊を組織し運用管理する)権限さえ獲得していった。
 やがて都市内の統治権を近隣や上位の君主から(特許状の付与によって)認められるようになっていった。
 近隣や上位の君侯領主たちは、相互の生き残り競争(戦争や駆け引き)のために巨額の財政収入が必要になっていたことから、有力都市に自治権特許状の付与と引き換えに支援金や運上金を受け取るようになっていく。
 こうして、自治都市がどんどん出現していった。このような自治権をもつ都市団体(代表機関や評議会)やその政庁をカウンスルとかラートと呼ぶようになった。

都市集落の名称

 やがて、国民国家ができてからも、カウンスル=都市参事会を自治行政の基盤=単位とする伝統は引き継がれ、名称も残された。
 ブリテンでは、王権から直接に自治権(統治権)を付与された都市を「バラまたはバロウ: borough 」と呼ぶ。王権直轄・直属の都市に多い。司教座都市で自治権を獲得したところも含む。  その次に位置する都市集落が「ヴィレジ: village」で、末尾に「ヴィル: vill」がつく都市名をもつ。独立の教会・聖堂を持ち、カウンスルの構成組織として「聖堂参事会」などを備えている。
 都市集落内に独立の聖堂や教会を持たない街が「タウン: town 」。ヴィレジの内部の街区をタウンと呼ぶこともある。こういう来歴の街は、末尾に「トン: ton 」がついた都市名を持つ。たとえば、ブライトンとかボストン、ワシントンなど。
 したがって、ヴィレジの方がタウンよりも、ずっと格上で都市の規模が大きいということになる。日本語訳の「村」は、厳密に言えば誤りだ。
 だから、ブリテンで出身地を聞くときには、 Where ( What ) is your home town? (あなたの「いなか」はどこですか)と尋ねる。「ホウム・ヴィレジ」とは言わない。

ドイツ系の都市法思想

 ブリテン王国で王によって自特許状を獲得した都市をバロウまたバラと呼ぶようになったのは、おそらくドイツ語圏からの影響だろう。
 ドイツでは、9世紀頃から司教座都市から商人団体が支配する都市への転換が始まり、11〜12世紀頃には、都市門閥商人が都市統治団体を形成しながら、周囲の君侯領主たちから自治権を獲得する動きが始まった。
 ケルン法とかマクデブルク法というような都市法を近隣の上級領主から承認・授与される動きが目立つようになっていく。ただし、ドイツ地方ではまともな王権が成立せず、多数の領主たちが分立割拠する状況がずっと続いていく。
 そこで、有力諸都市は、都市に介入依存したがる近隣の弱小領主ではなく、神聖ローマ皇帝(ドイツ王の地位も兼ねる)から特許状を獲得するようになった。こういう都市を「帝国自由都市: Reichsfreistadt 」と呼んだ。
 皇帝や有力君侯から自治権を認められた都市は「 Burg :ブルク」といわれた。ブルクはもともとは「城塞」という意味だが、防衛のための市壁=城塞を自由に造営する権利を持つのが自由都市の証となったせいであろう。要するに城塞都市ということだ。

 また、そこから自由都市の統治に参画する有力商人層を Bürger (ビュルガー)と呼ぶようになった。フランス語の「ブルジョワ」が語源だ。
 この思想がブリテンに持ち込まれて、自治権を持つ都市がバロウ(バラ)と呼ばれるようになったと思われる。

 そのブルクのもともとの語源はフランス語の「ブール: bourg」だと思われる。
 しかし、フランス語では、大都市・有力都市は ville で、 bourg はそれよりも格下の都市(中都市)を意味する場合が多い。そして village は田舎、農村を意味する。
 してみると、ブリテンの都市法の思想としては、フランスよりもドイツからの影響の方がずっと強そうだ。
 ただし、フランスの歴史を踏まえると、ブールが有力(自治)都市を意味する時代(13〜17世紀)があったはずだ。というのも、貴族や聖職者に対抗する新興の富裕市民層をブルジョワ( bourgeois )と呼ぶようになったのだから。