用語に関するノート 1

エスパーニャ王国とイエズス会

15世紀以来、イエズス会はエスパーニャ王権で決定的に重要な支配装置をなしていた。宮廷や王の顧問会議でも、中枢的な地位を占めていた。

当時、ヨーロッパで最大の大きさを誇っていたエスパーニャ王国は、内部に深刻な分裂や対立を抱え込んだ「つぎはぎの帝国」だった。
エスパーニャは、レオン・イ・カスティーリャ連合王国、アラゴン=カタルーニャ連合王国、ナバーラ王国、アンダルシーア、バレンシーア、ガリシア公領などの独自の主権を備えた政治体の寄せ集めにすぎなかった。
それぞれの地方は、固有の法と統治組織を備えていた。

カスティーリャでさえも、有力な領主貴族たちは王室による統制を撥ね退け、むしろ宮廷顧問会議をつうじて王権運営に介入するありさまだった。
当然のことながら、これらの諸地方を全体として統治するような行財政組織はまったく存在しなかった。徴税や軍隊の徴募・組織化も、それぞれに政治体ごとに独人別個におこなっていた。
カスティーリャ王権は、それらの地方に対する十分な統制権力を備えていなかった。カスティーリャ王室が衰退すれば、各地方は反乱や蜂起を起こして独立することは必然だった。

そんなエスパーニャ王国のなかで、あらゆる地方にわたって活動し、都市や農村の住民を監視し統制していたのは、ローマ教会のイエズス会の修道院や教会の組織だった。とりわけ「異端審問法廷」は、宗教思想だけでなく都市住民や農民の納税や貢納さえも監視していた。
してみれば、カスティーリャ王室の権威を実際に担い、その権威を伝達していたのは、イエズス会の宗教組織だった。王権はイエズス会なしには権威を保つことはできなかった。他方、イエズス会は王権との緊密な同盟のうえに、その権力を維持していた。