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『政治経済学批判』の「序説」での用法

  社会構成体 Geselleschaftsformation / gesellschaftliche Formation / formation sociale は、『政治経済学批判要綱』に付帯する「序文」とされる断章のなかでマルクスが、歴史的に変動移行していく総体としての社会編成を意味する用語として用いていた。
  その文章それ自体からは、社会構成体が国民的規模で相対的に自己完結するシステムとして想定されていたのか、それよりも大きな広がりをもつシステムとして想定されていたのかは、判断できない。
  私は社会構成体というものについて、たとえばサッカーなどのスポーツで「フォーメイション」が試合での攻撃や守備をめぐって状況に応じて動的に編成される陣形(選手たちの組織形態)を意味するのと同じように、社会の動態的な編成形態を意味するものと理解している。絶えず形成過程にある構造を意味するにすぎないということだ。
  そして私は、「古代奴隷制⇒中世封建制⇒近代資本主義」という流れで単線的に発展するという史的唯物論の歴史観――「歴史発展の定式」――を意味のない信仰告白だと見なして、言い換えれば実証的な歴史研究の検証に堪えられない幻想だと見なして、捨て去っている。そもそも進歩史観=発展史観というものを信じていない。ただ、現代のような形態の資本主義的な再生産体系を組み換えなければ、早晩、人類は滅亡するだろうと危惧するのみだ。

  ところが、ヨーロッパのアカデミズムでは長らく、歴史を描く場合の対象となる主体は、国家(国民国家)によって統括される社会とされていた――一国史観に呪縛されていた――ので、マルクス派も同じ学問的な共同主観にもとづいて、社会構成体をおそらく国民ないし国民社会(nacional society : 一国的社会)だと見なしていたと考えられる。
  この傾向が特に強いのがフランスのマルクス派で、ことにL.ピエール・アルチュセールやエチェンヌ・バリバールだ。バリバールはいくつもの論文で「フランス構成体」とか「イングランド構成体」「ドイツ構成体」といく言い方で国民社会ないし国民国家を表象していた。そして政治哲学者のニコス・プーランツァス(ギリシア出身)もまた、国家によって政治的に総括された社会システムを社会構成体と記述していた。

  そこには、社会科学や歴史学において「ひとつの自立した体系性を備えた認識対象と」して国民社会を想定するという方法論が前提されている。 しかしながら、このあとの論述で示すように、古代や中世にはフランスやドイツという枠組み単位でまとまった社会構造――国民 nation ――は存在しなかった。フランス史やイタリア史などというアカデミズムの認識単位は、のちに国民国家が形成され、国民的言語が人為的に生み出され、国民という形態の住民集合が政治的に組織化され、この組織状態を正統化するために中央政府が主導して学術エリートを国民的規模のアカデミズムを組織することで画定された枠組みでしかない。
  中世には、まず何よりもヨーロッパという「ゆるやかに結びついた文明空間=世界」があって、そのなかで多数の地方をひとつの経済的な物質代謝の連鎖のなかに結びつける世界貿易が組織され、それと連動しながら各地で領域国家が出現しやがて国民国家へと政治的=軍事的にまとめあげられていったのだ。
  私たちは、16世紀以降にあっては、資本主義的システムとして自立しているのは世界経済であって、認識すべき対象の単位としては世界システムが適切だと考えている。国民国家は、資本主義的世界経済の非自立的(断片的)な下位区分でしかないと見なしている。したがって、「国民(一国的規模の社会)」と同定されるような社会構成体という没概念的な用語は成り立ちようがない。近代初期にヨーロッパ世界経済が生成すると、実在的な社会システムとしては世界経済だけが存在するのであって、諸国民国家はその非自立的な断片でしかないのだ。

  これに関連して、私は「資本主義的国家 der kapitalisitische Staat / the capitalist state 」という言い方をしない。資本主義というものが歴史的に自立的な体系として成り立つのは世界経済(世界システム)であって、世界経済の断片をなす国家という単位ではないと理解している。つまり、国家それ自体として資本主義的であるかどうかという判断そのものが成り立たないということだ。各国民国家の次元では、社会システム総体として歴史的な時期区分はできないのだ。したがって、世界経済という次元で資本主義的なシステムのなかで、あれこれの国民国家が非自立的なサブシステムとして相互関係のなかで存立していると見なすということだ。
  総体としての資本主義的世界経済のなかに、非自立的なサブシステムとして――制度的には相対的に自立的な政治的=軍事的単位として――あれこれのブルジョワ国民国家が並存し、相互に関係し合っているということになる。そして世界経済の政治的=軍事的いして法的な編成形態が、諸国家体系 Staatensystem ――多数の国民国家からなる単一のシステム――なのだ。
  資本主義的生産様式が支配的な経済的再生産体系の連鎖は、国境の障壁や国民国家の諸制度を貫いて国民国家の内部に浸透しているのだ。


参照文献
Louis Althusser, Idéologie et appareils idéologiques d'État, 1970 : On the Reproduction of Capitalism: Ideology and Ideological State Apparatuses (English Edition)
Etienne Balibar, Cinq Etudes du Matérialisme Historique, 1974,
Nicos Poulantzas, Pouvoir politique et classes sociales de l'état capitaliste, 1968,

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