第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
この節の目次
ところで、度はずれた利殖はコムーネによって規制され、この規則は貴族にも、一般人にも、聖職者にも適用された。ゆえに、ヴェネツィアの企業家には、ほかのイタリア諸都市でのようにとび抜けて巨大な富と権力を手にする者はなかった。支配階級の内部で富と権力の過度の集中を避けるためだった。
こうして、ヴェネツィアの世界貿易は、政治的に統制された航海事業として経営されることになった。貿易総体の規模――それゆえまた利潤総額も――が飛躍的に拡大し、個々の航海事業の規模も拡大したからだ。
この貿易の組織形態の転換には、通商用船舶の設計技術の革新、つまり新型ガレー船の開発建造がともなっていた。それはオールを備えた帆船で、従来の軍用ガレー船よりも舷側が広く、船体も長かった。広い船倉にはより多くの貨物が積載できた。
新型船舶にはオールの漕ぎ手として200人ほどの乗組員が必要で、通常の外洋航海では帆走だったが、戦闘や危険回避ために、あるいは風向が悪いときにはオール動力を動員できた。当然ながら、弩で武装されていた。
だが、多数の乗組員の食糧を補給し、給与を支払わねばならなかったから、輸送費用は高くついた。したがって、もっぱら高い輸送費でも採算が取れる商品の輸送に利用されることになった〔cf. Mcneill〕。
それゆえまた、新型ガレーの船舶数は限られ、商船隊のなかでは特殊な業務にたずさわっていた。新型ガレー船は、「国営」の(コムーネが所有し政庁が管理する)造船廠で建造され、コムーネの所有する船団を構成し、コムーネから特別の独占権を保証されながら、付加価値性のきわめて大きな香辛料など、戦略的に重要な商品を輸送することになった。
必要なときに機動性を発揮でき、防衛能力にすぐれたガレー船は、1315年にジブラルタル回りでフランデルンに周航する最も危険な航路を開拓した。
ガレー船はコムーネの「公有資産」だったが、利用権は入札制度をつうじて最高値で落札した商人グループに賃貸され、航海事業計画と経営は公の委員会が管理した。航海委員会は、航海をめぐって入手できるかぎりの政治的・経済的情報を検討し、船舶数と寄港地、航海日程を決定した。
ヴェネツィア政庁は、戦略的に死活的な穀物や塩などの交易については特別の委員会に監督任務を割り当て、市域への食糧供給を確保すると同時に、交易利潤からの財政資金の獲得に当たらせた〔cf. Mcneill〕。
ヴェネツィアは、新たな航海事業の開拓についても政治共同体の監視と規制のもとにおいた。ゆえに、収益性の高い事業が開拓されると、特定商人の独占を防ぐため商品種類ごとに輸送費を公定して、あらゆる市民・商人に交易事業への平等な参加を組織した。
航海事業では商品ごとに距離に応じて輸送料が規定されていたから、市民の誰もが同じ商品は同じ価格で運送を依頼できた。しかも、航海日程があらかじめ決められているから、すべての関係者が売買や積み下ろし、倉庫搬入の手配を準備できた。
コムーネ政府自身も船舶の建造を計画し、航海の安全確保のための域外都市や君侯領主たちとの外交交渉を担い、船団の軍事的防衛なども含めて航海事業の計画運営に財政資金を投資した。政庁も資金投下額に応じた利潤の分配を受けた。
こうして市民各層のコムーネへの帰属意識を組織し、その政治的凝集を組織することができた。ゆえに当然、商業利潤の分配において都市国家の占める割合は大きかった。しかし、その世界貿易システムを政治的に監視・誘導し、戦役だけでなく外交的駆け引きを展開して防衛するためには、きわめて生産的な資金投下だった。
してみれば、ヴェネツィア・コムーネによる航海・貿易活動の指導と統制は支配階級の凝集性を高めるとともに、商業利潤の獲得機会を長期的に安定させ、リスクとコストを分散させる仕組みだったということができる。
14世紀前半には、コムーネに統制されたガレー船団の航海事業によって、レヴァントからフランデルンにいたる香辛料貿易に割り込んだ。高価な商品を積載容量の大きな船舶で大量に運搬したため、輸送費を3分の1に切り下げて、ジェーノヴァの独占を切り崩したのだ。
ジェーノヴァのレヴァント香辛料貿易の独占によって栄えていたシャンパーニュ経由の陸路は、フランデルン貿易へのヴェネツィアの参入と繁栄と裏腹に衰退した。
その代わりに、ヴェネツィアからアルプス東回りに南ドイツに通じ、そこからライン河沿いにフランデルンにいたる街道と諸都市、またドーナウ河沿いにニュールンベルク、ウルム、ヴィーン、プラーハなどを経て北ドイツにいたる交易路が飛躍的に成長していった。
交易網で結ばれた諸都市は、ヴェネツィアとの貿易をますます活発化させた。ヴェネツィア市内には、香辛料などの奢侈品を買い付けるために多数のドイツ商人が訪れ、1318年には彼らの商館(ドイツ人商館) fondaco
di tedeschi も建設された。
地中海貿易での最優位を支える地政学的政策も見逃せない。
ヴェネツィアは、イストリア、ダルマティア、クレタ島、キュプロス島に組織的な植民を進めることで、アドリア海、エーゲ海、レヴァントにいたる交易拠点を政治的・軍事的にコントロールし、このような交易拠点からなる植民地帝国 trading
post empire を地中海東部につくりあげて、通商覇権の基盤とした〔cf. Braudel〕。
これらの地方では、植民・移住してきたヴェネツィア市民が伯や司教などの支配階層に入り込み、ヴェネツィアの利益に沿った協定を結んで、戦争時の援助とか交易・緊急時の入港権を受け入れたのである〔cf. Mcneill〕。
これらの交易拠点は地理的には互いに遠く離れた、分散的で狭隘な港湾都市だったが、それらが織りなす貿易ネットワークこそが権力の基盤であり、その権力でこのネットワークに絡め取られた広大な地域に大きな影響力をおよぼした。
貿易ネットワークとは、まさにネットワークに依存する諸地方に従属ないし劣位を強いるメカニズムにほかならなかった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望