補章-1 ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
この章の目次
中世晩期ヨーロッパでの商業資本と都市の成長、そしてそれらとの関連において支配秩序の変動を考察するための前提として、中世ヨーロッパの全体的構造の動態を物質的側面から概観しておく。それは、領主制や商業にとって基層環境をなしているからである。
11世紀から14世紀にかけてのヨーロッパには着実な人口の増大がみられる。
概数の推定をもとにした人口動態をみると、地中海地域(イベリア、イタリア、ギリシアなど)では1400万から2100万へ(50%増)、北西ヨーロッパ(イングランド、フランス、低地地方など)では760万から2450万へ(3倍増)、中部ヨーロッパ(ドイツ、オーストリア、スイスなど)では380万から1120万へ(3倍増)と変化したが、エルベ以東では10%増と停滞した。アルプス以北、エルベ以西からピレネーにいたる西欧全体で人口の大幅な増大があったわけだ。
北西ヨーロッパから中部ヨーロッパにかけての地域――イングランド、フランス北部、ドイツ・オーストリア――の人口増が顕著で、この地域ではそれだけ開拓開墾や植民、農村建設、都市建設などの社会変動も大きかったということだろう。
こうした持続的な人口増大は、農業生産つまり食糧供給の著しい上昇の結果でもあれば原因でもあった。古くからの定住地での穏やかな成長、大規模な開墾と新しい集落の建設、海岸の干拓(低地地方)などによる農耕地の拡大、とりわけ穀物栽培の増大という形での発展がもたらされた。
このような農業の発達と都市の成長、そしてそれにともなう危機と支配構造の変動を眺めてみよう。
ところで、この人類社会の変化の背景には長期的な気候変動があった。
8世紀から13世紀までは温暖期で、温暖化する気候条件のもとで人口増大や農業=食糧生産の順調な発達が見られた。しかし、14世紀に気候の寒冷化が始まり、18世紀まで寒冷期が続いた。農業生産=食糧供給の不振・停滞とともに危機がやって来た。
以下の考察では、このような事情も背景においておく。
ここではまず、ヨーロッパ中世の領主制支配 Grundherrschaft の基礎にある村落の構造とその変化を追いかけてみよう。
農耕地の拡大とともに農業技術の変革も進んだ。まず目立つのは、それまでは先進的な大所領でしか使用されていなかった鉄製農具が多数の農民の手元にいきわたったことだ。とくに鉄製の犁の刃は深耕を可能にした。
北西ヨーロッパでは、鉄製の重い犁は11世紀には馬に繋いで引くようになって、アルプス以北の地域で落葉広葉樹の堆積した――湿り気と粘度が大きな――重い土壌の深耕を可能にした。
穀物栽培では、12世紀以降、北西および中部ヨーロッパ――ロワール河、アルプス、ドーナウ河上流部を結んだ線よりも北――で三圃制農法
Dreifeldwirtschaft がしだいに広がっていく。
この農法では農地を3つの形態(圃場区画)に区分して輪作をおこなう。3つの区画とは、夏穀栽培地と冬穀栽培地の2つの耕作地と休耕地で、土地は数年ごとに順繰りにこの3つの区画に割り当てられて地味を保ちながら利用される。
初期には、これらに森林を切り開いてつくった草の生えた未耕地が加えられていたが、やがて村落共同体が共同で利用する開放耕地になった。
夏穀とは春播きの大麦などの穀類や豆類で、冬穀とは秋播きの小麦などだ。休耕地には牧草を生やし家畜を飼育して排泄物を肥料にして地味を回復させた。穀物栽培地の地力が低下すると、休耕地を耕作地に転換し、こうして肥沃性を維持管理した。
三圃制農法の普及は、主にキリスト教聖職者に指導された――というのは、当時技術や知識の伝達者は彼らだけだったから――一種の農業革命あるいは社会変革であった。
とくにラテン語の教養と古代からの知識を身につけた修道士たちや修道会メンバーは、自ら率先して森林を切り開いて開拓をおこないながら、耕地開拓の技術や栽培法、開拓後の集落の運営方法などを農民に指導伝授したという。
そういう伝統から、修道士や修道会は農民から信頼され、大きな威信を獲得していた。そのため、各地で修道院や修道会が最も豊かで広大な所領を保有する領主となった。
三圃制農法の普及は、土壌の肥沃性を維持し、気候変動によるリスクを分散させ、季節ごとの労働量を平均化させた。これによって北西ヨーロッパの地中海ヨーロッパに対する農業生産性の優位を決定的なものにした。地中海ヨーロッパでは、古代ローマ時代以来の伝統的な二圃制輪作の農法がおこなわれていた。
三圃制では休耕地は農地全体の3分の1であるのに対して、二圃制では農地の半分が休耕地となってしまうので、仮に肥沃度の差はないとしても単位面積当たりの生産性が低いことになる。
そして三圃制は、人口が密集した村落の存在と共同体による組織だった耕作を可能にする労働様式を必要とした。そのため三圃制の浸透には、集住型の村落の建設、そして農民の生活や労働を規制するような共同体規範の形成がともなっていた。つまりは社会の仕組みの変化がともなっていた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成