14世紀から17世紀にかけて、地中海貿易圏と北部ヨーロッパおよび内陸の貿易圏とが融合し、これにイベリアの諸王朝が開拓した大西洋航路に沿った貿易圏が加わって、ヨーロッパ世界市場が形成されていった。それにともなって、ネーデルラント(低地地方)が製造業と貿易、金融の中心地になっていった。豊かなネーデルラントは、各地の有力商人が参集する富の集積地になるとともに、国家形成をめざす有力な諸王権や君侯たちによる勢力争いのなかで争奪の的になってしまった。世界市場の生成への趨勢のなかで、諸都市と商業資本は、好むと好まざるとにかかわらず、国家形成をめざす王権・君侯の権力と緊密にかかわらざるをえなくなった。都市をめぐる政治的・軍事的環境もまた変化したのだ。
諸都市の階級闘争は相互に影響し合いながら、フランデルン伯やブルゴーニュ公による権力集中の試み、そしてイングランド王権とヴァロワ王権との角逐などと絡み合って展開されることになった。そこにはやがてエスパーニャ王位を得たハプスブルク家による「帝国政策」がおよぶようになり、16世紀半ばには、ハプスブルク王朝の集権化政策が低地地方でも強化された。この集権化に対して都市や貴族などの在地諸勢力の抵抗と反乱が始まった。そのなかから、ネーデルラント北部諸州がユトレヒト同盟を形成して独立闘争を戦い抜き、ネーデルラント連邦共和国を形成していった。
それは都市商業資本が支配する共和国だった。そして、16世紀末から17世紀にかけて、ネーデルラント連邦はヨーロッパ世界経済のヘゲモニーを掌握していった。だが、ユトレヒト同盟の周囲では、イングランド王権、フランス王権、エスパーニャ=ハプスブルク王朝が熾烈な勢力争いを繰り広げていた。
このような文脈において、生成過程にあるヨーロッパ世界市場における商業資本の蓄積競争は多かれ少なかれ独特の変容を受けることになった。いくつかの強大な王権国家の出現とともに、都市と商業資本を取り巻く政治的・軍事的環境も変動し、都市と商業資本の権力構造は変化していくことになった。
では、ネーデルラントの社会構造と、この地域が形成されつつある世界市場で演じた役割はどのようなものだったのか。また、どのような政治的・軍事的環境に置かれていたのか。そして、ネーデルラント連邦のヘゲモニーを基礎づけた要因はどのようなものだったのか。さらに、ネーデルラントの最優位は、世界経済と諸国家体系にどのような刻印を与えたのか。これらの問題を検討するのが、この章の課題となる。
ところで、単一の社会的分業体系としてのヨーロッパ世界経済に編合されていく諸地域は、大枠として《中核―半周縁―周縁》という三層のヒエラルヒーを構成するようになっていった。このヒエラルヒーのどこに組み込まれるか、つまり世界経済における地位は、それぞれの地域が世界貿易とどのようにかかわったのか、地域固有の経済的・政治的構造がどのようなものであったのか、とりわけ国家形成がどのように展開したのかによって左右された。ゆえに、世界経済のなかでの地域的・地方的な権力構造の成り立ちについても見ておかなければならない。
ここでは以上のような問題関心において、世界経済と諸国家体系の生成という全体的文脈のなかに位置づけながら、フランデルン諸都市の興隆と後退、そしてネーデルラント北部諸都市への中心移動の過程を描き出してみよう。
この研究は、ヨーロッパ世界経済の形成過程を分析し、それがどのようなものであったのか描き出すことを課題としている。そのさい、この世界経済が政治的=軍事的に多数の国民国家へと分割された状態で――つまり諸国家体系という形態をともなって――形成されたという事態にとりわけ関心の焦点をあてている。
そして、私たちの関心は、なぜ、いかにしてそうなったのかを解明することに向けられている。それによって、ヨーロッパ世界経済の形成に関するイマニュエル・ウォーラーステインの研究では十分に解明されていない問題領域をカヴァーしようと意図している。
ウォラーステインは、資本主義的生産様式が支配的な近代世界経済が《中核―半周縁―周縁》という3つの階層からなるヒエラルヒーを基本構造として成立したことを解明し、世界経済における主要な運動主体として――資本家的企業に比べて圧倒的に――大きな位置づけを国家に与えている。
とはいえ、なぜ、いかにしてそうなるのかについては説得的に論証・総括されているとは言い難い。
そこで私たちは、ヨーロッパ中世の社会構造と秩序の変容・解体過程を分析してきた。そのなかで、国家という特殊な政治的=軍事的単位が成立するよりも以前、都市と商業資本がヨーロッパの社会と秩序のあり方に大きな影響をおよぼし、その変容のあり方を方向づけたことを確認した。すなわち、それ自体として独自の文脈で生じた君侯領主たちのあいだの生き残り競争、権力と軍備の拡張競争のありように大きなインパクトをおよぼし、独特の変容=方向づけを与えたのだ。
ところが他方で、君侯領主たちの生存闘争や軍拡競争が、商業資本の活動や経済的再生産の構造、資本蓄積の様式に大きな影響をおよぼして、やはり独特の変容や方向づけを与えたことも確認した。
また私たちは、やがてヨーロッパ世界経済に統合されそのサブシステムとなるはずの地中海貿易圏、北海=バルト海貿易圏、そして内陸貿易圏における秩序や権力構造を、君侯領主権力や都市ならびに商業資本の活動と関連させて分析してきた。
それら諸要因は、形成されていく世界経済のありようを制約しあるいは方向づけ、世界経済が受け継ぎ変容させていくはずの素材を提供したのだ。そして出現した世界経済の権力構造とダイナミズムに独特のヴェクトルを与えることになった。
さて、これから先は、ヨーロッパにおける諸国家の形成過程を――世界市場的文脈のなかに位置づけながら、商業資本の世界市場運動と関連させながら――考察することになる。だが、国家というものは、すでに予備的考察で見たように多様な属性・要素をもつ存在で、それぞれの属性・要素は時期を異にして出現し、別個の成長過程を経て成熟していく。つまり国家というものは、はじめからできあがった存在ではなく、その相貌は時間を追って変容し、成長していくものなのだ。しかも、国家はいくつも形成され、相互に対抗し合いながら相互に影響し合い、制約し合い、かくしてこれまた変容していく。
それゆえ、国民国家という状態をあたかも所与のものであるかのように意識する私たち現代人の既成観念や固定観念を突き放し批判しなければ理解できないのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望