――マルクスの解体と再構築――
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さてマルクスは、資本主義的生産の核心は、生産過程の支配権力に裏打ちされた剰余労働の領有であると見た。だから、生産過程での資本の支配権力がどのように作用するかを執拗に考察している。
だが、他方で、資本は〈価値の自己増殖運動〉であると述べている。そして、価値の増殖運動としての位相について、企業会計的視点から考察する。
企業経営は、多様な要素(資本部分)からなる資産=価値の集合体の回転・循環運動と見なすことができる。資本家的視点から見ると、企業経営は利潤率を最適化するための資本循環の管理や統制ということになる。
もちろん、それは社会的再生産体系における人びとの活動と相互関係が織りなして生み出す現象形態であって、そのような社会関係の物象化の形態として、位置づけているのだが――物象化 Verdinglichung とは、社会の権力関係や人びとの活動の社会的な絡み合いが、「商品」「資産」や「貨幣」「資金」という物の(増殖)運動として、人びとの目に映り、そのような意識によって人びとの利害や行動が誘導される仕組み・傾向を意味する。
で、資産価値の集合としての資本は、いろいろな視角から様々な要素・要因に区分できる。ここでは、賃労働と資本とへの分配関係を示し、剰余価値率と直結する「可変資本」と「不変資本」を取り上げて分析し、資本の循環運動を考察する。
マルクスはまず、資本の所有権力の労働(者)への支配の関係を示すものとして、「可変資本」と「不変資本」との区分を提示する。
企業家は経営=生産活動をおこなうために、資金を投じて生産手段(工場や機械などの生産設備、工具、原材料など)を調達し、そして生産活動=労働の担い手としての労働者を雇用する。つまり、代価と引き換えに生産手段と労働力を手に入れる。
この場合、生産手段とは、社会ですでにそれまでの人間労働(生産活動)によって製造され加工された生産物である。所与の社会的条件のもとでは、その価格=価値は決まっている。その意味では、生産手段の価値は変わりようがないから、生産手段に投下され固定された資本部分(=価値)を「不変資本」と呼ぶ。
これに対して、人間労働=生産活動は新たな生産物=価値を生み出すから、可変的である。というわけで、人間労働への報酬に充てられる資本部分を「可変資本」と呼ぶ。
話を個別具体的にしよう。
ある企業経営者が保有する元手=貨幣資本の総量が1000であるとしよう。このうち、工場建設や機械設備・用具の調達のために600を投入した。工場建設に400、機械と用具に200を充てた。このうち機械に150、用具に50。
1年間の経営のために、原材料や部材、補助材などに200を充てた。そして、同じ期間の労働者の賃金として200を支払うことにした。
ところで、工場の耐用年数は20年と設定し、機械設備は10年、そのほかの用具は5年と設定した。これによって、工場の減価償却年数は20年、機械設備のそれは10年、用具のそれは5年となる。
これらは、1年以上の期間にわたって、投下資産の価値があれこれの生産手段に固定されるので、「固定資本」と呼ばれる。この固定資本への投下資金が回収される期間のことを、減価償却期間と呼ぶ。このように、投下資本が回収されるまでの循環を1回転とし、その期間を回転期間ないし回転周期と呼ぶ。
さて、「減価償却 Abschreibung / depreciation 」とは企業会計や原価計算(工業簿記)における基本概念なので、一見難しいが、生産過程の運動に即して考えれば、どうということはない。
読んで字のごとく、固定設備の価値(技術的性能と見てもよい)が使用時間とともに摩耗・損耗してすり減っていくことが「減価」である。もちろん、そのときどきで必要な補修や手直しを加えての話だ。減価とは、文字どおり価値の減少・減損のことで、この減耗を会計帳簿に記録することをも意味する。
そして「償却」とは、経営活動での通常の収入から、この固定設備の価値減耗分を補填するためにコストとして控除して企業内に備蓄していくことだ。ここでの例で言えば、工場建設には400かかっていて、これを20年で減価償却するのだから、毎年一定額を積み立てるとすると、毎年20を償却費として備蓄することになる。税制つまり税務会計では、これを「定額法」と呼んでいる。
同様に、機械設備の毎年の減価償却費は、15となる。用具のそれは10となる。
というわけで、固定資本=固定資本の評価額は年々低下していって、一定の期間ののちには無価値になる。つまりは、この期間のあいだに企業は収益のなかから、同じ新たな生産設備を購入できるだけの資金を備蓄していくわけだ。固定設備の減価分は、積み立てた償却費=流動資金の額に置き換えられている。
企業会計では、固定資産の価値減耗とその償却費用の積立ての経過を――資産状態の変化として――財務諸表に表示しなければならない。
以上に対して、1年以内に消尽されつくされてしまい、それゆえ、1年以内に投下資本を回収できるはずの生産手段と現金資金などをひっくるめて「流動資本」という。短期間に流動してしまう資本だからだ。
すでに見たが、固定資本も流動資本も含めて、投下した資本=資金が完全に回収されるまでの運動を「資本の回転」と呼び、その期間を「回転期間」と呼ぶ。そうすると、固定設備などの減価償却期間は、「固定資本の回転期間」ということになる。
流動資本のうち、たとえば、Aという材料が3か月で使い尽くされて製品となり、そのつど製品として市場で販売されるとすると、材料Aの回転期間は3か月となる。
さて、わが設例の企業家の年間計画では、経営を持続するための1年間の経常経費は、固定資本の減価償却費が20+15+10=45、原材料費が200、労賃が200だから、合計445となる。経営のためには少なくとも年間、445の収益が必要となる。
そこで、経営者は年間生産・販売額を600と設定し、実現したとしよう。
利潤は、600−445=155となる。
単純化すれば、これが剰余価値だ。
さて、ここからは、工業簿記と原価計算の実務の基礎となる。じつは、近代経済学と商業簿記を土台にしている原価計算制度は、皮肉なことにマルクスのような労働価値説に立脚している。ところが、新古典派の近代経済学者たちの多くは、労働価値説を否定ないし批判している。経済学者先生の多くは、工業簿記や原価計算の実務を知らないからだ。
マイクロエコノミー(経営単位としての企業経営の科学)を標榜しながら、彼らはじつは企業の財務管理理論(これには製造工程管理=原価管理のノウハウが含まれている)のイロハを知らないのだ。工業簿記の原理では、経営者は何の価値も生み出さない。というよりも、工程の外部から工程を組織し資本循環を方向づけ組織化する戦略家として位置づけられているというべきか。
その意味では、近代経済学の経営理論(虚構の上に立つ数理学)を学ぶよりも《資本》を読んだ方が、よほどに経営実務が理解できる。資本家諸君はマルクスを学ぶべし! 良心的な経営者になるためにも。