中世の音楽と近代への歩み その1
中世の音楽と近代への歩み 目次
数理哲学としての音楽
中世ヨーロッパの音楽
バッハと音楽理論
教会権力の装置としての音楽
近代への歩み

数理哲学としての音楽

  ここでは、西ヨーロッパの権力秩序との関連において音楽の歴史を一瞥する。

  総じて中世の音楽は、演奏などによる音響の美しさを感じ楽しむものではなく、むしろ人の耳に聞こえる音を頼りに、この世界=宇宙に響き渡っているけれども、人の耳には聞こえない摂理(神の意思)や秩序、調和を探る学術というべきものだった。

  ムージクムは、むしろ音響の物理学に近かったというべきでしょうか。数論や天文学と並んで、神の意志を体現する宇宙の摂理や法則を観測し探るための、いかめしい学問だった。
  表向きには、後代の人びとが求めるような「美しさ」とか快感を、音楽に求めたり感じたりしてはならなかった。
  中世をつうじて音楽=ムージクム(musicum)は、数学と並んで、神の意思を体現する宇宙の摂理(宇宙の音=振動)を数理的に読み取る学術として発達したが、実際の音響の美しさや楽しさを求めることは抑制されていた。
  ローマ教会の価値観や神学によって方向づけられていたのだ。
  だからむしろ、人の耳に聞こえない宇宙の鳴動=振動を思弁的に考究する学術だった。音学ともいうべきものだった。

  ピュタゴラスは、物体の振動が音を発し振動媒体の長さと音程の高低は反比例の関係にあることを発見した。
  ある長さの弦を弾いて響く音と弦の長さを半分にすしたときの音響とが美しく共鳴することを発見し、弦の長さと音程(振動数)との比率関係を数理的に定式化した――倍音の理論。これは、のちに1オクターブの音階差とされた。
  そしてピュタゴラスは、それを数的比率関係として定式化し、それを宗教的信仰に仮託した。

  そういうこともあって、宇宙にはあまねく神の意思=摂理を伝達する風=振動が流れているものと考えられたため、数理的に宇宙の背景音を把握しようとする哲学的態度が生まれたものだろう。
  古代ギリシア以来の思想や学術は、ローマ帝国崩壊後の美しヨーロッパでは、ラテン語の素養を習得する制度をもっていたローマ教会の修道士=研究者たちによって、変形されながら引き継がれた。
  それゆえ、古代以来の思想や学術がキリスト教や教会の権威を裏打ちし、高める方向で体系化され、洗練されることになったのだ。

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