中世の音楽と近代への歩み その2
中世の音楽と近代への歩み 目次
数理哲学としての音楽
中世ヨーロッパの音楽
バッハと音楽理論
教会権力の装置としての音楽
近代への歩み

中世ヨーロッパの音楽

  なかでも実際に耳に聞こえる音については、教会・修道院は、聖堂に集い祈祷する民衆に「神の権威」や「天上界の美しさ」を伝達する聴覚的にして視覚的装置として、音楽・歌唱を研究し、利用してきた。
  石造りで高い天井をもつ聖堂で鳴り響く音、とりわけ共鳴する低振動は、民衆に崇高なもの神的なものへの畏怖を感じたり、陶酔感を与えたということが音響学と脳神経学によって証明されている――はるかのちにナチスがこの原理を使って、巨大な会場に民衆を集め、軍隊の行進の低振動音響で陶酔させるマスヒステリー状態をもたらすことで、民衆を操作することになった。
  ローマ教会の神学(禁欲戒律)が人びとの精神世界を決定的に左右していた時代だから、きわめて慎ましやかに、というよりも動きや変化に乏しい表現の世界だったようだ。人びとに神や信仰以外の感動をもたらすことは、「表向きは」罪とされていたのだから。

  その頃、のちに音楽となるはずのムージクムは、中世ローマ教会の神学的世界観にもとづくメタフィジークの1部門の「音学」というべきもので、いわば神学に仕える侍女はしためだった。
  音楽の部門のうち、「宇宙(神が造った世界)の音楽の研究:musica mundana(ムージカ・ムンダーナ)」が最上位に位置づけらた。そこでは数学と密接に結びついて、神の意思を反映する宇宙の秩序=摂理――それが音の揺らぎとして現れるものとされた――の探求をするものとされていた。
  その次に位置するのが「人間(の世)の音楽:musica humana(ムージカ・フマーナ)」で、精神や人間社会の秩序を音を探求する学問であり、教会や修道院などで神の意思を人間に伝えるべき音をも探求していた。
  一番下位に位置づけられたのが「楽器(人の声を含めて音響を発するもの)の音楽:musica instrumentalis(ムージカ・インストゥルメンタリス)」で、これが肉声や楽器の演奏の法則を探求していた。
  当時、肉声による歌唱や楽器の演奏は、正規の音楽(ムージクム:musicum)に属すものではなく、一段低い、卑俗な技芸と見なされていた。というのは、中世ローマ教会神学や戒律の影響で、神が人間に直接与えたとされる肉体から発せられる音声に何よりも重要性が置かれていたからだ。

バッハと音楽理論

  ずっとのちになって、北ドイツのプロテスタント文化のなかで生きたヨーハン・セヴァスチャン・バッハは、耳に聴こえる音楽を中世以来の数理的音楽思想によって分析・総括しようと試みたことは、よく知られている。
  旋律やリズムなどの構成や特質について、数理的に秩序づけて把握しようとしたらしい。
  人の心に感動を呼び起こし快感をもたらす音響には、何らかの法則がはたらいていると見たわけだ。だが、必ずしもその試みは成功しなかったようだ。

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