中世ヨーロッパヨーロッパ大陸内部の軍事的環境 2
目  次
フランク大王国
重層騎士と領主制
ヨーロッパの軍事的再編
都市と農村
イタリアの事情

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ヨーロッパの軍事的再編

  ところで、地方の有力者や豪族、戦士たちに領主の地位を与え、所領として土地支配を認め、 所領支配・防衛のための武装、城砦構築などの権限を認めると、地方領主たちは独自の武装権 力=軍事単位として王や皇帝から自立していくことは避けられなかった。
  まして、世襲で世代が進むごとに地方領主の王権や地方君主からの自立化は目立っていった。封建法観念では、君主と家臣との臣従契約関係はパースナルなものでしかなく、君主も地方領主もそれぞれ代が変わるたびに契約を結びなおさなければならなった。
  臣従関係の希薄化・変質はなおのこと避けられなかった。

  こうして中央宮廷の影響力はしだいに後退していくことになった。
  それに対処するために、王はときどき直属家臣団を引き連れて遠征(行軍)をおこない地方有力者を集めて評議会を開催したり、代官を巡回させて地方ごとの裁判集会(巡回裁判)をおこなわせたりした。
  しかし、大きな王国の解体は避けられなかった。

  一方で北西ヨーロッパの平原では、森林伐採や湿地干拓などによる農地開墾が進み、農法の革新(三圃制・牧畜の普及、)などで所領農園の拡大や土地生産性の向上が進んだ。遍歴商人によって遠距離交易が組織され、余剰農産物の商取引も目立つようになる。
  やがて、今度は地方領主の経済力=軍事力を土台として、権力を拡大するための競争が始まった。より有力な諸侯が近隣の領主や騎士 団を臣従させて、自らの城砦を中心として独特の支配圏(政治体)を形成するようになっていっ た。彼らは、弱体化して名目だけとなった伯や公の権力を簒奪して、侯国や地方王国を形成し ていった。
  12、13世紀になるとヨーロッパ各地に、そういうとび抜けた力を備えた公伯のなかから、周囲のいくつもの諸侯を臣従させた王権が登場していく。
  こうして、王権形成をめざす各地の領主たちの競争と闘争が展開されていくことになった。それは6世紀以上におよぶ長いヨーロッパでの国家形成( state making )の歴史の始まりだった。
  それはまた、ヨーロッパ軍事革命( military revolution )の曙光でもあった。

都市と農村

  他方で、遠距離貿易を組織する有力商人が集住する都市でも、権力構造の転換が起きて、門閥商人層の団体が都市を統治し、独自の軍事力を備えるようになって、近隣の教会組織や領主権から独立した政治体を形成するようになった。
  はじめのうちは、強固な城砦と重層騎士団を擁する地方領主が統治する農村が圧倒的な軍事的優位で、都市を包囲するという状況だった。だが、やがて領主の所領農園の生産性が上昇し、多量の余剰農産物を都市や遠隔地の市場向けに貨幣と引き換えに売り渡すようになると、力関 係は逆転した。
  領主たちは、貨幣収入をもとに自分の権威を誇示するために奢侈品・贅沢品を消費するようになるとともに、土地の生産性を上げようとして所領の圃場整備や灌漑施設建設のために商人からの借入(融資)を当てにするようになった。

イタリアの事情

  ところが、イタリア北部では事情が異なっていた。
  そこでは遅くとも9世紀頃には、古代ローマ帝国の残骸の上に大きな商業都市が登場し、地中海貿易での有をめぐる商人団体や都市のあいだの競争が始まろうとしていた。
  商人門閥の権力はいち早く成長し、周囲の農村の領主や騎士を都市の生活に引き込み、軍事的独立を妨げていた。やがて、12―13世紀ごろまでには領主貴族は完全に都市の権力構造に組み込まれていった。
  南ヨーロッパ・地中海沿岸部では、北西ヨーロッパに比べて土地の肥沃度が低く、所領農園の生産性の上昇は芳しくなかった。そうなると、農業生産力を土台とした地方領主の富と権力の増大も大したことはなかった。そこでは富と権力において都市=商業の力が圧倒的だった。

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