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市川雷蔵主演の「忍びの者」は、ネオレアリスモの手法を用いて制作された最初の忍者映画だ。荒唐無稽な忍者活劇ではなく、戦国時代の末期、各地の武将や大名から雇われて間諜活動や破壊・撹乱工作を専門に担った伊賀の里の村人たちの悲惨な運命を描いている。1962年作品。
原作は、村山知義著、『忍びの者』、理論社 1962年刊。初出は1960年で、日本共産党の機関紙に連載された。そういう背景から、この物語はマルクス主義的な階級闘争の視点によって強く裏打ちされていると思われる。
そのような歴史的視点から描かれた戦国時代の歴史像と伊賀の首領の陰謀は、従来の歴史小説の平板な構成の限界を超え出て、じつにダイナミズムに富んだ展開を見せている。これ以後、歴史小説では――階級史観を取るかどうかにかかわりなく――陰謀をともなう権力闘争の構図やダイナミズムを描き出す手法が模索・開発・洗練されていくことになった。
《忍びの者》は、1960年代はじめに制作された日本映画の名作。
それまで忍者映画といえば、荒唐無稽な「忍術」やアクロバットを散りばめた、没歴史的・没社会的な「娯楽映画」でしかなかった。そこに、深い歴史考証と社会学的視点、人物配置の妙を尽くして「忍びの者」が登場した。
ネオレアリスモの手法を、その母国のイタリア以上に洗練させて取り入れた作品として、当時絶賛された。日本が誇るべき時代劇の先駆といえる。白土三平の忍者漫画は、おそらくこの映画から大きなインスピレイションの1つを得たに違いない。
物語を乱暴に要約すると、
ときは戦国時代末。武力闘争の趨勢は、守護大名どうしの争いから16世紀には戦国大名どうしの地方ごとの覇権闘争に移行し、さらに16世紀後半になると、それぞれの武将大名が分立割拠する情勢から、有力大名を盟主とする同盟を結んで天下を統一する局面に転換しつつあった。
伊賀の下忍、石川五右衛門は百地党の首領の奸計に操られて、上洛を果たした織田信長暗殺の任務に赴く。ところが、首領の軍資金稼ぎのために盗賊稼業を強いられたうえ、伊賀忍群の別の一党、藤林長門配下の忍者たちとの死闘に巻き込まれた。
それは、信長誅殺に名を借りた、伊賀の首領による中・下忍身分支配のための巨大な陰謀だった。
武装した地侍と農民という2つの側面をもつ伊賀の里の民衆は、専門家集団としての自立性が強く、領主が専制支配をおこなう身分秩序の支配=従属関係にはなじみにくい人びとだった。だが、百知三太夫は伊賀の里に領主制支配を打ち立てようとして、中・下忍や集落どうしを相争わせようとする策謀をめぐらす。
その陰謀が成功したかに見えたとき、織田信長と羽柴秀吉らは武力で伊賀衆を殲滅する作戦を展開し、里人を絶望的な反乱に駆り立てて滅ぼそうとしていた。
では、物語のシークェンスを追いかけていこう。
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