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五右衛門は、三太夫と並ぶ、百地砦一番の術の使い手であると同時に美男子で、多くの若い女たちから慕われていた。要するに女性にもてるわけだ。
三太夫が書記役に抜擢したのも、妻(いなみという名)に要請を受け入れてのことだった。が、それは、三太夫がそう仕向けたからでもあった。というのは、いなみが三太夫に嫁いで6年たったが、いまだ夫婦としての性交渉はなかった。妻として迎えられたのに、それは若い健康な女性としてはたまらない屈辱であり、また欲求不満を蓄積させるストレスでもあった。
そこに、利発で熟達の忍びのうえに美男子である五右衛門を送り込み、毎日、同じ部屋で仕事をさせればどうなるか。
案にたがわず、いなみは五右衛門に迫り誘惑した。かねてからいなみの立場に同情していた五右衛門は、誘惑に負けていなみを抱いてしまった。それを、三太夫は二重天井の隅から見下ろし、ほくそ笑んだ。
五右衛門といなみの密会は、三太夫の仕掛けによって、屋敷の下女や下男の知るところとなった。下男は密会の件で脅迫しようと五右衛門に迫ったが、消されてしまった。下女(はた)は、三太夫の筋書きどおりに密告の挙に出た。
はたは、五右衛門に横恋慕していたので、嫉妬のあまり、三太夫に告げ口したのだ。
ところがある日、五右衛門の父親が火薬調合をおこなう作業小屋が爆発してしまった。小屋は木っ端微塵に吹き飛び、父親の身体もばらばらに飛び散ってしまった。この事故は、実は三太夫の陰謀で、五右衛門の父親の火薬の秘伝書(巻物)を奪い取り、火薬調製の術を独占するためだった。
他方では、百地三太夫は、信長暗殺のために優秀な若手忍者を美濃尾張方面に送り込んだ。手裏剣では百地党随一の手だれの与八だ。与八は、三太夫の直属の中忍を相談役(監視・連絡を兼務する監視役)とともに尾張に旅立った。
若山富三郎が扮する織田信長は、傍若無人、残虐無慈悲な君主として振舞っている。きょうも、側近たちを従え騎乗で領地を駆けめぐっていた。そして、楽市がおこなわれている集落に来ると、馬を降りて、市に集まった小商人の露店を物色して回った。信長はおのれの権威を振り撒くように、小商人たちを威圧した。
信長に攻撃を仕掛ける隙をうかがっていた忍者は、あまりの傲岸不遜に憤り、ただちに攻撃をかけようとする。
信長は側近とともに馬にまたがり、走り去ろうとした。そのとき、忍者は信長の胸をねらって手裏剣を投じたが、ちょうど信長が愛猫を抱え上げたところだったため、手裏剣は猫に突き立った。信長はいきり立ち、側近たちに与八を追わせ包囲し、捕らえた。
与八は信長の城砦に連行され、囚獄の天井から後ろ手に縛られたまま吊るされた。厳しい糺門と拷問を受けた。水攻め、棍棒による殴打…。それでも与八は、自分の正体と出自を白状しなかった。
忍者は幼い頃から、首領とその配下による教育や暗示、訓練をつうじて、マインドコントロールされている。三太夫は折につけ下忍たちに訓戒を垂れている。捕まる前に自死すべし、しかもそのさい、おのれの身分や顔形の見分けがつかぬように顔を潰し、切り刻め、仮に捕まえられても黙秘を守り通せ、と。
与八の黙秘に業を煮やした信長は、側近や典獄を押しのけて自ら与八を問い糺した。が、与八は答えない。冷酷さを表した信長は、答えなければ、耳を切り落とすと脅したが、効き目はなかった。
ついに信長は、側近に左耳の削ぎ落としを命じた。その武士は、あまりの酷い拷問に躊躇した。ほかの武士たちも身を退いた。「意気地なしどもめ」と言い捨てた信長は、自ら与八の右耳を切り落とした。それでも与八は無言だった。信長はとうとう残りの耳も切り落とした。激痛のあまり、与八は失神した(かに装った)。
信長と側近は獄を出て行った。
しばらくして、与八は音もなく、肩と手首の関節を自ら外して戒めの縄から抜け出た。そして、獄吏を襲って脇差を奪い、逃走した。獄吏の叫びによって、城内には厳重な警戒網が敷かれ、忍者追捕への包囲陣が固められた。城外に逃れる道はほとんど閉ざされた。
与八は城の屋根に逃げ上り、そこで自分の首を切り刻んで果てた。