知のネットワークをめざして

構造論的国家論について



生産様式と社会構成体

◆世界経済の諸国民国家への分割を読み解くために◆

  それでは、私たちが見なすように、資本主義的生産様式の支配(優越・最優位)が国境をはるかに超え出て世界的規模で成立しているのであれば、国民国家の存立根拠はどのように描かれることになるのか。
  プーランツァスが言うように、国家の存立根拠が経済的再生産体系における資本主義的生産様式の支配に照応したものとするなら、経済的再生産の連鎖がすべての国家の障壁を貫通する世界体系をなしているのだから、ただひとつ実在的で自律的な社会構成体は世界経済であって、したがって資本主義的社会システムのなかには複数(多数)の国家が複合的に並存する状態で存立することになる。しかも、世界的規模での社会的分業体系――世界分業体系――のなかで諸国家が占める位置は異なっている限り、地方ごとの歴史や文化や言語、気候風土などの相違による差異を措いておくとしても、それぞれの国家には独特の個性――国民的個性 Nationaleinzelheit / national individuality ――が備わっていることになる。   構造論的にブルジョワ国家を描き出すためには、世界経済の諸国民国家への分割の論理とそれぞれの国家の国民的個性を描き出さなければならない。説明すべきは、ブルジョワ国家一般ではなく、ブルジョワ国民国家なのだ。
  フランスの構造論派マルクシストたちの根源的な失敗・欠陥は、社会構成体という概念を論証の基礎=出発点におくことによって、ほかならぬ国民国家制度がもたらした虚偽イデオロギーのフェティシズム(呪縛された意識)――あたかも国民国家が自己完結的に存立しているかのような観念――によって呪縛され、国民国家によって政治的に総括された社会(国民社会)がそれ自体として自己完結的なシステムと想定して分析を進め、理論を構成したことなのだ。彼らは、自らの立脚する表象に対してイデオロギー批判を向けたためしがない。ことにフランスでは国家装置としてのアカデミー・フランセーズの創設以来、自国中心的な学術認識を構築しようとする傾向が誘導されてきたことも、背景にあるのだろう。フランスのアカデミズムの特質として、国民的意識(国民というイデオロギー)による呪縛がきわめて深いということがあるが、彼らはそういうイデオロギー状況にどっぷりと嵌まり込んで抜け出せていないのだ。
  剰余価値の領有をめぐる社会関係、つまり資本蓄積をめぐる社会的仕組みが国境を超えて組織され展開しているにもかかわらず、国民社会を自己完結的な全体と位置づけてしまう誤りは、まさに近代ブルジョワイデオロギーのフェティシズム=呪縛にはまり込んでしまっていると言うべきだろう。
  その呪縛から超え出るために、私は、資本主義的世界経済において多数の国民国家が相互に関係し合いながら並存するという構造(仕組み)を読み解こうと考え、なぜ、いかにして形成されてきたのかを歴史的に考察することになったのだ。国家の国民的編成状態 Nationalstaatlichkeit / nationalstaatliche Organisiert- heit の存立根拠=必然性は歴史的動態、歴史的過程のなかにしか見いだせないからだ。中世晩期から始まった資本の世界市場運動がどのような環境において、どのような階級諸関係から生み出され、そしてどのような階級構造や政治構造をもたらしたのか――それはヨーロッパ各地での国家形成競争、国民形成運動をもたらしたのだが――を読み解こうとしてきたのだ。
  ブルジョワ国家組織のなかに組み込まれたさまざまな国家装置や統治装置、政治制度は、《資本=賃労働》ないしは《資本・賃労働・地主》という「近代的階級構造」ができ上がるよりも前に形成され、独特の組織形態と運動傾向を備えていたのだ。それらは、身分特権秩序や王権政府の規制監督制度をつうじて経済的再生産に介入し統制し、生産過程や流通過程の構造を制約し方向づけてきた。当然、階級構造(イデオロギーも含む)に強い影響を与えてきた。それがまた、資本主義的生産様式の成長過程とその具体的内容・形態を制約してきたのだ。
  そのような文脈において、資本主義的生産様式の内容と形態はけっして自明なものではない。それ自体が中世晩期からの政治的=軍事的環境、地政学的状況によって媒介・制約されながら形成されたものとして説明しなければならない。
  したがって、資本主義的生産様式がひとまず成立していて、それを土台ないし中核として国家の諸装置や諸制度、諸要因を組み立てていくという――模型づくりのような――静態的な構築作業を拒否したのは、まさにそのような理由からだ。
  私は、プーランツァスをはじめとする構造論的国家論が行きづまった地点から立ち戻って理論を再構築するために、資本主義というものはどのような歴史と空間において生成し成長し、展開してきたのかを認識し直す作業をおこなってきた。そのためには、資本主義的生産様式についても、諸階級の存在形態についても、国家装置についても、静態的で歴史的に変容しないモデルを組み立てることは、そもそも方法論的には誤りであるということになる。
  彼らが論理的に構築した国家像は一見美しい構築性を示しているようだが、そのカテゴリー体系に歴史過程の具体的内容を盛り込もうとすると、まさに積み木の城のようにバラバラに砕けて崩れ去ってしまうのだ。私から見ると、構造論的国家論は、研究が幼弱で未熟な段階での初歩的な思考トレイニング、積み木遊びでしかないのだ。もちろん、より具体的で相対的な認識に進むために、」それは必要な段階ではあるが出発点にすぎない。そこからどのように始まるか、進めるかが重要なのだ。

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