国家形成史における世界市場的文脈と階級構造 1

冒頭

階級論的文脈における国家形成

遠距離貿易と都市権力の成長

都市の階級構造

都市の階級闘争

北ドイツ諸都市の領域主義

領域主義と政治体の生存闘争

北西ヨーロッパ

世界市場的文脈と階級構造

  世界市場的文脈における国家形成の歴史は、階級論的文脈のなかに位置づけて総括することでもある。もとより、ヨーロッパ世界貿易ないし遠距離貿易の構造は、ヨーロッパ的規模での社会的分業(産業配置)と諸階級の配置、社会的再生産をめぐる諸階級の力関係に照応した商品交換システムあって、階級利害の対立や権力闘争であることは、これまでの考察が示すとおりである。
  したがって、世界貿易や世界市場について語ることは、ヨーロッパ的規模での諸産業の力関係や階級配置の構造を語ることになるわけだ。そのことは、これまでの叙述から理解できるだろう。

■■階級論的文脈における国家形成――都市から国家へ■■

  ここでは、階級構造についてより明示的な言説を用いながら、遠隔地の諸階級のあいだの関係、つまりヨーロッパ的規模での権力構造をめぐる階級関係と地方的な権力構造をめぐる階級関係を関連づけて、都市から国家への支配的な統治組織の変移の過程を総括することになる。
  それは、世界貿易の成長にともなって商業資本と都市の権力が拡大し、やがて強大な領域国家が出現して都市をしのぐ権力を獲得する歴史的過程を、ヨーロッパ的規模および地方的規模での階級配置と権力構造の絡み合いという位相において描写するということだ。
  私たちは、それぞれの階級の地理的配置によってそれぞれの利害や行動様式が異なっていることを見てきた。たとえば、「有力都市の特権的富裕商人」というような同一のカテゴリーで表される階級であっても、その地理的配置、つまりヨーロッパ分業体系における地位の違いによって、利害の内容や行動様式、さらに社会的役割は異なり、近隣の王権や領主との関係は大きく異なるのだ。

  ところで、国家装置というものが出現すると、有力な諸階級の内部で、統治ないし政治的支配の機能を直接に担う人間集団ともっぱら経済的活動を直接に担う人間集団とのあいだに社会的分業が生じる。そうなると、経済的に最優位にある階級がそのまま政治体の支配的地位を占めるとは限らない。
  とりわけ都市では、狭くるしい市域空間に多数の階級が密集して生活しているから、統治秩序の動揺期・変動期には、一時的にしろ経済的に劣位にある諸階級や集団が政治的に優位を獲得する状況が生まれることがあった。あるいは、都市内の門閥どうしの権力争いでは、下層民衆を扇動してライヴァルを攻撃したり、その権威の失墜をねらったりすることもあった。そういう策謀が暴走して、下層民衆の指導者に政庁を牛耳られてしまうという事態も少なからず起きた。
  都市内部の階級構造は具体的状況に即して分析される必要がある。また、北イタリアや北ドイツ地方では、都市と都市との関係における権力構造や階級関係、都市と農村との関係における権力構造、都市と領主・君侯との関係における権力構造が階級関係におよぼす影響もまた分析されなければならない。
  イタリアの都市国家それぞれの個性つまり内部の権力構造の独自性や行動スタイルの違いも考察対象となるだろう。たとえば、ヴェネツィアとジェーノヴァでは、都市の階級構造と権力構造はかなり異なっていて、それはまた域外や地中海貿易競争における行動スタイルの違いとなって現れていた。それは商業資本としての集合的権力の存在構造の相違ということになるだろう。
  イタリア地方では、ローマ帝国およびそのなかで発達した商品経済の遺制や残骸を受け継いで中世の都市の成長が展開された。そこでは早くから諸都市の権力が伸長したため領主権力の成長が抑えられ、それゆえまた有力諸都市の周囲に強力な君侯権力が出現することがなかったため、商業と都市の発達過程では、そのような外部的権力の影響をさほど受けることなかった。都市は自ら領域権力としての都市国家を形成し、領主権力をその従属的要因として全面的に包摂してしまった。それゆえ、都市の階級構造と権力構造がいわば典型的な(突出した)形態で形成された。

■■遠距離貿易と都市権力の成長■■

  13世紀から16世紀までのヨーロッパでは、まず地中海方面で、次いで北海=バルト海方面で遠距離貿易システムが成長していった。地中海世界では北イタリア諸都市が、北海・バルト海地域ではライン下流域および低地地方の諸都市ならびに北ドイツの諸都市が、貿易圏全域にわたる経済的および政治的=軍事的権力の中心として隆盛し、それぞれの近隣や貿易路が横切る諸地方の領主・君侯を抑え込んでひときわ強い影響力をおよぼしていた。
  北イタリアでは商品貨幣経済の経験がひときわ早く始まり、人口の大きさと富の集積という点でひときわ高い地位を占める有力諸都市が、早くも13世紀から、周囲の中小都市や近隣の領主所領を取り込んでひとまとまりの支配領域 contado を形成してきた。この支配領域は中心都市の行財政上の制度や軍事上の力能によって排他的に囲い込まれ、当時としてはきわめて凝集性の高い、小規模な領域国家、つまり都市国家をなしていた。
  北イタリアでは、有力諸都市は完全に自立的で、軍事的・政治的にも経済的にも近隣の領主層を圧倒し、彼らの所領や支配圏域を都市の権力秩序に包摂統合していた。
  この都市国家の権力の頂上には、地中海世界貿易を組織する富裕商人階級がいすわっていた。彼らの経営組織の内部には巨額の利潤が累積していたから、その資金を基礎に多かれ少なかれ金融業に手を染めていたが、なかには金融業を専門に営むグループもいた。
  ところが、北ドイツのハンザ諸都市は、金融業の成立はかなり遅かったうえに、貿易での利潤率がかなり低かったこともあって、富と権力の蓄積は遅々としていて、近隣周囲の君侯領主に対してそれほど圧倒的な優位を手に入れることはできなかった。
  とはいえ、いずれの地方でも、これらの商人層は都市団体の行財政を指導する門閥を形成して、飛び抜けた権力を独占していた。彼らは当時の身分秩序のなかで有力な貴族と同等以上の地位を占め、多くの場合、上級の君侯領主から爵位を与えられた家門も多かった。彼らは、市域内または近隣に居住する有力領主層を都市門閥の内部に引き入れ、婚姻などをつうじて血縁的・家系的な結びつきを形成した。
  領主層の側でも、生き残るために商業や投資、商業的農業経営などの経済活動に手を染めて自ら商業の担い手になるか、あるいは資産を誇る商人家系と血縁関係を結んだりした。名誉や名望、富、権威はこうして都市の権力として寡頭支配サークルに凝集していった。
  ただし、北イタリアでは領主層と商人層との身分的・階級的融合は、遅くともすでに13世紀には顕著だったが、ドイツやネーデルラントでは3、4世紀ほど遅れていたように見える。
  しかも都市の統治組織の権力は、地中海世界の数多くの貿易拠点を結ぶ交易路によって各地におよんでいた。通商上の権力や優越を利用して、遠方までその影響力や権力をおよぼしていたのだ。

  さて、経済活動のなかで貿易商人たちは、財貨の運搬のために自ら船舶を建造、保有して海運業を経営することもあったが、やがて社会的分業の進化とともに輸送業・倉庫業者を雇う場合が多くなった。海上および大河川に就航する船舶の乗員たちは商業の担い手でもあったが、当時は遠距離就航する船舶は武装していたから、軍務も担う乗組員が多かった。
  その意味では、海運業や水運業の経営者は軍事活動の指導者でもあったのだ。陸上河川や海路で輸送を担う舟運業者や倉庫業者、そして造船業者は、概して大きな資産や生産設備を保有し、多数の従業者を常用ないし臨時雇用する富裕な商人層の一角を構成していた。海運業や舟運業は、そのほかの商業活動と同様に、税や賦課金の上納と引き換えに近隣の諸都市や君侯領主たちから特許を与えられることによって成り立つ特権的な業務だった。
  諸都市や君侯領主たちは、特許状の付与によって、遠距離商業の利潤の分配・再分配に参加していたのであって、そこには政治的・軍事的に支配的な諸階級と経済的支配階級とが結びつき、利害を共同化していく条件があったということだ。

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