国家形成史における世界市場的文脈と階級構造 3

国家形成史における世界市場的文脈と階級構造 目次

冒頭

階級論的文脈における国家形成

遠距離貿易と都市権力の成長

都市の階級構造

都市の階級闘争

北ドイツ諸都市の領域主義

領域主義と政治体の生存闘争

北西ヨーロッパ

■■北ドイツ諸都市の領域主義■■

  都市群として北イタリアに次ぐ地位を占めていたのは、バルト海沿岸の北ドイツとライン下流から河口地域(ネーデルラント、ヴェストファーレン)だった。
  遠距離貿易の拡大とともに、北西ドイツとバルト海沿岸にある有力諸都市も周囲の君侯・領主の権力から自立し、政治的・軍事的力量を増強していったが、近隣周囲の君侯・領主たちを圧倒し併呑するほど強大にはならなかった。それでも、周囲の君侯領主の権力から自立できるほどには、富と権力の集積を達成していた。これらの都市は通商特権や通貨管理、関税などでの優遇、軍事的な攻守の支援などをめぐって同盟協定を取り結んだ。

  ハンザ諸都市が周囲の君侯権力や領主権力から政治的・軍事的な自立性を保ち続けることができたのは、ドイツ・中央ヨーロッパ全体におよぶ独特の統治レジーム、神聖ローマ帝国の秩序のおかげだった。この仕組みのなかでは、有力君侯としての選帝諸侯やそのほかの諸侯領主たちが、勢力平衡の原理を用いて、突出して強大な君侯権力の出現を抑制・妨害するために相互に牽制、監視し合う構造が機能していた。
  有力な諸都市は、皇帝に「名目的な臣従の証」として賦課金や税を上納する代わりに帝国自由都市としての特許状を受け取り、政治的・軍事的自立性とともに各種の通商的ないし政治的特権を確保することができたのだ。これによって、都市は近隣の君侯領主たちとの軍事闘争フェーデに陥る危険をかなりの程度回避することができた。フェーデに陥っても、周囲の君侯領主たちや諸都市の支援や帝国の法廷での裁判を求める正当な権利・理由を手にしていた。もっとも、それは富と権力、ことに軍事力を握っているから有効になるものだったのだが。

  そもそも、ハンザ商人たちが営んだ貿易の利潤率はせいぜい数%で、富の増殖や集中を加速する金融業も成長しなかったため、資本蓄積の速度・規模は小さく、ハンザ諸都市は、富と人口の集積という点では北イタリアには遠くおよばなかった。都市の人口も北イタリアの10分の1ないし数分の1でしかなかった。けれども、周囲の地域に比べて飛び抜けて巨大な需要と奢侈欲求の源泉になっていた。近隣の君侯領主たちが財政収入の源泉を手に入れようとして、都市に介入したりフェーデを挑む可能性があったのだ。
  都市と近隣の領主との権力闘争は、階級闘争でもあった。近隣の農村の支配圏をめぐる闘争もあったが、この場合には農村剰余生産物の領有をめぐる階級闘争だった。また、領主が都市に服属臣従を要求する場合、目的は課税などによる財政収入が目的だったから、結局のところ商業利潤の分配・再分配をめぐる階級闘争だった。

  都市内部の階級構造は北イタリアとよく似ていたが、富裕さの程度はかなり劣っていて、家庭内・家政内の使用人の数はきわめて限られていた。投機や冒険的投資ではなく、節約や倹約こそが、この地域での経済的成功の秘訣だったのだ。それにしても、個別の都市内部での富と権力の蓄積や集積の度合いは、イタリアに比べて格段に小さかったので、都市は周囲への領域的支配の強化をめざしたものの、近隣領主層や領邦君侯たちの都市権力への包摂には程遠く、都市国家を形成するまでにはとてもいたらなかった。
  この地域で顕著だったのは、都市同盟のなかでの支配=従属関係と法的権限の序列だった。諸都市は相互に連携して、たとえば輸出禁止や制限などの貿易統制協定を発動することで、近隣周囲の君侯領主の勢力や生存を威嚇することができた。
  バルト海沿岸や北ドイツでは、有力諸都市や通商経路の近辺にある農民村落は都市が指導支援する開拓によって生まれた。そのため、はじめから都市の強い影響力のもとにあって、なかには都市団体の所領となったところもあった。こうした農村は14、15世紀の諸都市による領域支配への動きのなかで都市の排他的な支配圏域に統合されていった。つまり、集権的な統治への傾向は確かに見られたのだ。

■■領域主義と政治体の生存闘争■■

  イタリアで都市国家群の覇権争いが始まった頃、ヨーロッパでは領域君主政(領域国家)の形成をめぐる有力領主層の生き残り競争が始まった。有力領主層は支配圏域を拡張するため、近隣周囲の中下級領主・騎士層あるいは諸都市を服属・臣従させようとしていた。それは、ほとんどの領主の所領経営が遠距離貿易ネットワークに編合されたことの帰結だった。
  領主たちの権威や生活は、所領の生産物が遠隔地市場向け商品として商業資本に売り渡し、貨幣代価を収入として得られなければ成り立たなくなっていた。さらに宮廷財政の収入を増やすためには、より広い圏域を支配し、支配地への課税総額を拡大しなければならなくなっていた。そのためには政治的・軍事的権力の拡張が必要で、それにはこれまた財政収入の増大が必要だった。領主貴族が政治的権威の誇示や武装のために必要な兵器やガラス・金属器、服飾や装飾品などの奢侈品・贅沢品は、商業資本が政治的に支配する諸都市でつくられていた。
  領主貴族層の生存はますます遠距離房きや世界市場での商業資本の活動に依存するようになっていった。

  こうして、イタリアでも、フランスでも、ドイツでも都市や領主支配圏などの多数の小さな政治体が、生き残りのために支配地を拡大し、支配地に内部での課税権などの財政収入権力を拡張しようとしていたのだ。
  そこでは、都市団体(商業資本)、領主たちどうしの生存闘争、すなわち階級闘争が繰り広げられていたのだ。という意味では、領域国家形成ないし国家形成はまさに――世界市場的文脈によって構造化された――階級闘争の過程から生み出された事象だった。

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