映画《炎のランナー》の社会史 目次
スポーツと階級格差
イデオロギーとしてのアマチュアリズム
挑戦を受けるブリテン
異端の挑戦
エリート内部での世代格差
エリート・キャリアの1部門としての芸術・芸能界
メリトクラシーとしてのプロフェッショナリズム

◆異端の挑戦◆

  ハロルド・エイブラムズは、ユダヤ人家系の出身者だが、彼の家族はエリートの中枢=インナーサークルからは排除されてきた。
  だが、一族=父親は、世界的規模でビズネスを営む銀行家で、シティで最大の金融業者の1人である。
  しかし、彼の兄は飛びぬけた業績を誇る医学者で、アカデミズムではエリートとなっている。ハロルド自身も、やがて法曹界のエリートとなり、さらに王権から叙爵され貴族院議員になる。

  とはいえ、物語の時点では、「固有の意味でのユダヤ人」は、異端としてエリートサークルからはそれとなく疎外されていた。彼の家門は、父親の代で急速にのし上がった「成り上がり者」と見なされていた。
  同じユダヤ系でも、たとえばロスチャイルド家門のように、ブリテンのアングロサクスン・エリートに同化しエリートサークルに属する階層・グループとそうでない階層・グループにはっきり分かれていたのだ。

  この時点で、彼の家門がエリートの中枢から排除されていたのは、宗教=ユダヤ人ゆえなのか、それとも新興成金だからなのかは、描かれない。この時代のブリテンの政治・文化状況を考えると、たぶん、その両方なのだろう。

  この時代にはまだ、エリートサークルに入るためには、アングリカンチャーチ(国教会)が認める教会への帰属(改宗)が必要だった。カトリック教徒やユダヤ教徒などは、やはり中枢からは遠ざけられていた。
  WASP(ヨーロッパ系白人で、アングロサクスン系で、プロテスタント系)がエリートの条件であるというのは、アメリカの専売特許ではなく、そもそもイングランドの政治・文化の構造を意味するものである。

  ハロルドは、権力中枢から疎外されているユダヤ人の1人として、ブリテン流の旧来からのスポーツ・アマチュアリズムへの抵抗を試みる。報酬の支払いと引き換えに外国出身の職業コーチャーの指導を受けて、オリンピック短距離走での優勝をめざそうとした。
  ハロルドの姿勢は、ケンブリッジ大学学寮長などの旧来のエリート層からは強い反発・圧迫を受け、軌道修正を迫られる。とはいえ、それはジェントルマン階級のスポーツ世界観の限界の内部でのことなのだが。

  一方、リデルは、スコットランド長老派教会の若き神父で、中距離走の天才である。だが、イングランド王室を盾に取ったオリンピック委員会の「長老派教会の原則を破って、安息日に競技をしろ」という命令を拒絶する。
  というのも、イングランド王が首長を兼務していたアングリカン教会(国教会)の「融通無礙」で「無原則」な立場を、強く批判するのが長老派教会の立場だからだ。

  この時点では、スコットランドっ長老派教会は厳格なプロテスタントで、国教会からは名誉革命以来、一応は同盟者として認められているが、王室や国教会からは「煙たがられている」、いわば「準異端」だった。

  20世紀初頭までのブリテンの王権政府や金融・貿易業界は、植民地世界帝国を築いてその内部にありとあらゆる異物や異端者、周縁を取り込みながら、権威と支配を貫くために、スーパーエリートの権威や価値観を強引に押し付けてきた。
  ところがいまや、その世界帝国は、内部にさまざまな軋轢や反乱を抱え込み、ライヴァルの欧米列強の切り崩し攻撃に直面して、崩れ去ろうとしていた。

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