オデッサ・ファイル 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
物語の背景
兆   候
エジプト軍のロケット開発
イスラエルの焦り
暗   闘
秘密組織オデッサ
ペーター・ミューラー
SS大尉ロシュマン
戦後ドイツ社会のタブー
オデッサの隠然たる力
師団式典への侵入
探索と追跡
ヴィーゼンタール
ロシュマンとオデッサ
ミサイル誘導装置の開発計画
モ サ ド
オデッサへの潜入
オデッサの監視網
対   決
オデッサ会員のファイル
ブレーメンでの闘争
余   談
カナーリス提督について
「ユダヤ人問題」について

ロシュマンとオデッサ

  ペーターはヴィーゼンタールに面談して、オデッサとロシュマンについての情報を求めた。そしていくつかの質問をした。
  オデッサという秘密結社はナチスの残党の組織なのに、なぜドイツ政府・司法機関によって捜査や取締りがおこなわれないのか。
  国際的にナチスの戦争犯罪者の逃亡を組織したり、闇の組織を動かしたりしながら、大規模な企業活動も支援したりしているとすれば、莫大な資金が必要だが、その資金はどうやって得ているのか。
  オデッサに幇助された逃亡のあと、ロシュマンは今どうしているのか。

  ヴィーゼンタールは驚くべき事実を説明した。
  オデッサはドイツの政財官界の要所に影響力を行使している。とりわけ、各州――ドイツ連邦共和国は、中央政府への過度の権力集中を避けるために、一定の主権をもつ諸州から構成されている――の政府やとりわけ警察組織・司法機関にオデッサのメンバーを送り込んでいる。彼らは巧妙に市民からの告発や情報を握りつぶしたり、容疑者に知らせて逃亡させたりしているというのだ。
  そして、巨大な資金源を確保している。敗戦直前にナチスの幹部たちは、巨額の財宝や資金とともに外国に逃亡した。とりわけスイスの銀行組合のいくつもの秘密口座を設けて、巨額の基金を創設して、世界的規模での資金のやり取りを組織しているという。莫大な資金の隠匿や違法送金などをめぐっては、ヴァティカン銀行も絡んでいたとか。
  ロシュマンは、オデッサの支援によって一時南アメリカに逃亡移住して、いくつもの偽の身分でのうのうと生活したのち、現在はドイツに帰国して、有力な電気機械会社の経営者となっているという。その会社はブレーメンにあるという。

ミサイル誘導装置の開発計画

  一方、オデッサの組織は、グリュックス将軍の指揮のもと、ドイツ国内で密かにエジプト軍のロケットミサイルの電子誘導装置の開発を進めていた。開発計画の指導者はヴェルナー・ダイルマン。研究開発を直接担っているのは、キーフェル電気機械会社で、ロシュマンがその社長となっている。
  つまり、ロシュマンは今、ナセルのミサイル(遠隔誘導装置)開発計画で中核的な役割を演じている。だから、オデッサとしては、何としてもロシュマンを守り抜かなければならないのだ。
  エジプト軍のイスラエル先制攻撃用ロケットミサイル開発のためにドイツ人科学者や技術者を派遣し、また誘導装置の開発計画を組織していたのは、オデッサだったのだ。

  さて、イスラエル政府はこのところ、《ナチス狩り》を一段と強化していた。それは、「ナチスの亡霊たちが復活しつつある」という状況判断によるものだった。つい先頃も、アイヒマンを捕縛・訴追・断罪・処刑したところだ。
  ドイツの敗戦後、ナチスの残党(幹部たち)の多くが南アメリカに逃亡=移住していた。オデッサは、彼らに偽の身分( identity )を与えて、逃亡ルートを組織化していた。こうして、ナチス残党=オデッサは、アルヘンティーナ、パラグァイ、ウルグァイなどに拠点をつくり上げ、いくつもの有力企業や団体を組織していた。
  1950~70年代にかけて、これらの諸国では極右翼・軍事独裁政権が成立していた。ナチスの生き残りたちは、こうした政権との公然たる裏取引き――経済界の有力な一角を構成しながら政権の支持基盤となり、巨額の献金を提供していた――によって、いわば特権的地位を獲得していた。それを、冷戦構造のなかで、合州国が黙認=許容していた。
  ナチス残党とオデッサは、これらの国内で、彼らが設立運営する企業や団体の私有地内での武装の自由や「治外法権」を得ていたのだ。こうして、1950~60年代前半にかけて、彼らは、ドイツ国内や南アメリカ諸国に扶植した基盤を中心として、国際的ネットワークを形成し始めていた。大きな影響力を手に入れようとしていたのだ。

  ゆえにこそ、50年代から、イスラエル政府やユダヤ人組織による《ナチス狩り》が執拗に繰り広げられ、ナチス残党とイスラエル国家との世界的規模での暗闘が熾烈に展開することになった。
  イスラエルは、反イスラエル勢力の拡大を阻止しようとし、逆にオデッサは世界的規模で反イスラエル同盟を構築しようとした。これに、冷戦構造が絡み、右翼と左翼の対抗関係が複雑に絡みついた。
  中東地域でイスラエルとの軍事的対抗関係で著しく劣勢に立たされてきたアラブ側、とりわけナセルが統治するエジプト=アラブ連合が、「反イスラエル」の旗印のもとで旧ナチス勢力と手を結ぼうとしたのだ。
  こうした倒錯して歪んだ冷戦構造下のパウワーゲイムの論理の前に、パレスティナの住民たち自身のことは「後回し」にされ、アラブ側の戦争政策の正当化の口実や取引きの材料になってしまったのだ。

  もともと、第2次世界戦争の時期に、ナセルをはじめとする中東の国民解放・独立闘争の指導者たちの多くは、ナチス党の党員やシンパのリストに名を連ねていた。西ヨーロッパの植民地支配と収奪からの解放をめざす彼らは、見かけ上の理念やイデオロギーのうえで、はるか遠方の地で展開されたナチズム=「国民社会主義: Ntionalsozialismus 」の響きに共感を覚えたのかもしれない。
  ナチズムの実態を知らずに、英仏帝国主義に対抗した「国民的自立」「社会主義」という響きのよいスローガンに、願望を託し、その幻想に酔ったのかもしれない。
  地中海東部や中東地域でブリテンの覇権や植民地支配に抵抗し打撃を与えようとする勢力に、ナチスはそれなりの支援と協力を与えた。その餌にアラブの解放勢力や独立派が飛びついたのだ。
  イソップ風の喩えを使うなら、「獅子の猛威に脅えた羊たちが狼の足元に身を寄せた」というわけだ。

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