オデッサ・ファイル 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
物語の背景
兆   候
エジプト軍のロケット開発
イスラエルの焦り
暗   闘
秘密組織オデッサ
ペーター・ミューラー
SS大尉ロシュマン
戦後ドイツ社会のタブー
オデッサの隠然たる力
師団式典への侵入
探索と追跡
ヴィーゼンタール
ロシュマンとオデッサ
ミサイル誘導装置の開発計画
モ サ ド
オデッサへの潜入
オデッサの監視網
対   決
オデッサ会員のファイル
ブレーメンでの闘争
余   談
カナーリス提督について
「ユダヤ人問題」について

ブレーメンでの闘争

  ペーターはブレーメン向かった。モサドからの情報によれば、キーフェル電気機会会社の社長になっているロシュマンは、今、見本市の展示会場にいるという。ペーターは、一般の参加者に混じって会場に入り込み、キーフェル電気の展示場所に行った。
  ロシュマンは、ほかの企業の経営者たちとの商談や情報交換をしていた。ところが、そこにオデッサの幹部、ヴェルナー・ダイルマンが駆けつけてきて、ロシュマンに何やら耳打ちした。おそらく、ペーターの追跡の手が間近に迫っていると警告したのだろう。
  何しろ、凄腕の殺し屋さえも倒されてしまったのだ。もはや身を隠すしかない。オデッサにとって、ロシュマンの身の安全は彼個人だけのためのものではなく、エジプト軍によるイスラエルへのミサイル攻撃を実現するためにも不可欠のものだったのだ。
  ロシュマンは慌てて車に乗り込んで、ブレーメンの郊外にある邸宅に向かった。その邸宅は、堅牢な領主館=城で、森の湖の畔にあった。城は周囲を湖と水路に取り巻かれていて、岸から館の門まではたった1本の橋によって結ばれていた。

  ロシュマンが館に入ると、橋の関門は閉じられ、その付近には地元の警察官が配置され、警戒態勢を敷いた。オデッサの影響力は、ブレーメンの警察組織にまでおよんでいるようだ。とはいえ、警察官の取り組みはかなりお座なりだ。
  ペーターは、水路の縁に降りて身を隠しながら、橋桁の枠を伝って渡り、湖の水面近くにある古びた開口部から館のなかに忍び込んだ。
  城の中を探りながら、ペーターはロシュマンの執務室に入った。そこには、ロシュマンがいた。
  ペーターは銃をかざしてロシュマンを椅子に座らせて、尋問を始めた。
  ロシュマンははじめのうち、自分の前身を否認し続けた。ところが、ペーターが、ユダヤ人の虐殺や虐待に憤っているというよりも、むしろ個人的な理由で、ロシュマンを追及していることが明らかになるや、「同じドイツ人でなはないか」「あの時代はそうするしか仕方がなかったんだ」とか、説得にかかった。


  しかし、ペーターがロシュマンに告げた事実は、衝撃的なものだった。
  リーガの港で、ロシュマンがドイツの輸送船を奪うために卑怯にも背後から射殺した、あの国防軍の大尉は、ペーターの父親だったのだ。
  自殺したタウバー老人の手記に書かれていた、この事件の日付け、場所、大尉という階級から、ペーターは、父親を殺したのは、ロシュマンだと断定した。ゆえにこそ、ペーターは、命を危険にさらしてもロシュマンを執拗に追及する執念を燃やし続けたのだ。
  そういう個人的な復讐心があるなら、もはや言い逃れはできないと悟ったロシュマンは、ペーターの注を逸らしながら、机のなかに隠してある拳銃に手を伸ばそうとした。だが、ペーターに気づかれて、撃ち殺されてしまった。
  ペーター自身は、ロシュマンをこの場で殺そうとは思っていなかった。公の場に引き出して訴追され、過去の残酷な犯罪や暴虐を暴きだすことが目的だった。けれども、ロシュマンが手向かおうとしたので、発砲してしまった。モサドの訓練を受けて射撃の技術を身につけていたので、銃弾を何発もロシュマンの身体に命中させてしまった。
  そのあと、ペーターは邸宅の近くで警戒にあたっていた警察官に自首して、ロシュマンを射殺したことを告げた。そのまま、警察署に連行され、勾留された。

  ペーターの勾留中、ジギーはあのオデッサの逃亡者ファイルをヴィーゼンタールに手渡していた。ヴィーゼンタールは、そのファイルをもとにして、自ら推し進める運動に協力する法律家や仲間を動員して、ナチスの逃亡戦犯の追及のキャンペインを展開した。
  ドイツの政財官界に潜むオデッサのメンバーや旧ナチスのメンバーは、次々にその醜悪な前身を暴かれ、訴追や公職追放の嵐に見舞われた。彼らを支援していた有力者たちは、批判を恐れて、もはや大っぴらに庇うことができなくなった。
  ドイツで甦りつつあったナチスの亡霊たちは、より明白に、広範な指弾と批判を浴びるようになった。
  そんなこともあって、ペーターはついに刑事訴追を受けることなく釈放された。
  その頃、ナセルのロケットミサイルの電子誘導装置の研究開発を進めていたキーフェルの研究所=工場で、原因不明の火災・爆発事故が発生し、すべてが吹き飛んでしまった。そして、エジプト軍のロケットミサイル開発に協力するドイツ人科学者・エンジニアは、いなくなってしまった。

  その後、エジプト軍のロケットミサイルが、イスラエルに向けて飛び立つことはなかった。
  その数年後、アラブ連合の戦車隊がシナイ半島からイスラエルに攻撃を仕かけたが、わずか数日で殲滅されてしまった。
  エジプト軍がソ連から援助として手に入れた戦車T-62の200台は、イスラエル軍がブリテン軍から譲り受けて配備したわずか2台のセンチュリオンによって、簡単に破壊されてしまったのだ。センチュリオンの走行性能と手法照準装置が優れていたのに比べて、T-62の照準精度は10%未満というシロモノだったらしい。イスラエル空軍の出動をまつまでもなかった。
  そのとき、誰の目にも明らかな形で、イスラエルのアラブに対する圧倒的な軍事的優越が確定した。

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