オデッサ・ファイル 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
物語の背景
兆   候
エジプト軍のロケット開発
イスラエルの焦り
暗   闘
秘密組織オデッサ
ペーター・ミューラー
SS大尉ロシュマン
戦後ドイツ社会のタブー
オデッサの隠然たる力
師団式典への侵入
探索と追跡
ヴィーゼンタール
ロシュマンとオデッサ
ミサイル誘導装置の開発計画
モ サ ド
オデッサへの潜入
オデッサの監視網
対   決
オデッサ会員のファイル
ブレーメンでの闘争
余   談
カナーリス提督について
「ユダヤ人問題」について

「ユダヤ人問題」について

  レジームとしてのナチスは、ユダヤ人を弾圧・抑圧し、人種としての全滅・絶滅を標榜した。
  ところで、ジェノサイド( genocide )は、ジェノ(geno )つまり種族・民族を殺戮・抹殺( cide )するという意味だし、ホロコースト( holocaust )は全体(holo)を生贄として殺す(caust)ことだ。
  ナチスはただ漫然と安易に「ユダヤ人」と言ったが、「ユダヤ人とは何か」「誰がユダヤ人か」という問題は、安直に妄動的な政治的スローガンに掲げられるほど、簡単な問題ではない。ナチスは、デマゴギー・大衆煽動として、安直化したレッテル張り、差別用語を流布させたにすぎない。
  ちょうど、戦前の日本で、朝鮮=韓国系および中国系の人びとを差別し、圧迫、抑圧したように。
  というのも、ドイツや東ヨーロッパでは、その1世紀以上前からユダヤ人を「ゲットー」に追い込み、集住させてきたから、安直な「人種狩り」を仕かけやすかったのだろう。
  その場合のユダヤ人とは、アシュケナージム(ドイツ・東欧に住むユダヤ人)ということになる。
  日本の出版界を見ても、いまだに安直な「ユダヤ人の陰謀」説めいた、トンデモ本がしょうこりもなく粗製濫造されて出されている。そこでは、「ユダヤ人とは何か」「誰がユダヤ人か」という、そもそもの基本問題には何も答えないまま、いわば偏見・差別的先入見としての「ユダヤ人」という用語が一人歩きさせられている。ナチス時代から、少しも知的に進歩していない。

  では、ユダヤ人とは何か。
  この問題は、古代から、政治や統治の問題としても、ローマ教会の神学上の問題としても、提起され続けてきた。とりわけ、鋭い緊張をはらむ政治的・イデオロギー的問題となったのは、中世後期に領域国家、王権国家の形成が始まり、なかでも近代国民国家(絶対王政を含む)の構築が課題となった頃からだ。
  早くは、10世紀頃、あるいはそれ以前のイベリア半島、エスパーニャで、レコンキスタによるキリスト教諸王権の形成が展開するなかで、宗教政策(域内十字軍運動)の問題として浮かび上がった。
  レコンキスタとは、8世紀に北アフリカから進出してきたイスラム勢力が、ヒスパニアの大半の地域を支配するようになってから、イベリアの北部から東部の片隅に追いやられたキリスト教勢力によって展開された領地回復運動である。それを主導したのは、ガリーシアやレオン、ナバーラ、ピレネーに割拠したキリスト教君侯たちとその騎士団を率いた貴族の諸連合だった。
  イスラムは、それ以前に荒れ果て、分裂していたイベリアに平和と安定・秩序をもたらし、商業や都市建設、農地開拓や開墾、灌漑、農耕に関する高度な技術や知識をもたらした。そして、わずかな税と引き換えに、あるいはイスラム君侯への臣従を条件として、民衆に寛容な宗教政策を進め、信教の自由を与えた。
  ローマ教会が偏狭な世界観や神学を押し付けていたのに比べると、はるかにヒューメインだった。
  こうして、農業の発展や、都市建設や商業の発達がもたらされると、ヨーロッパや地中海地域から、多くの商人や職人たちが移住してきた。ユダヤ人もそうだった。何しろ、寛容な宗教政策があったのだ。


  ところが、キリスト教君侯たちによるレコンキスタが進むと、それはイスラムの支配からの離脱と「キリスト教の支配の復活」ということから、「十字軍運動」として位置付けられた。つまりは、回復した地域にローマ教会の教義・儀典への服従を強制する政策・運動でもあった。つまりは、異端者への圧迫・弾圧・排除である。
  王の宮廷の中心組織として、十字軍運動組織がふんぞり返っていた。
  多くのイスラム教徒はローマ教会への改宗を強制され、拒否する者たちは、追放されたり、域外移住を強制されりした。ユダヤ教徒も、である。しかし、改宗しても彼らは「コンベルソ(転向者・改宗者)」と呼ばれて、差別や迫害を受け続けた。
  それでも、はじめのうちは、王権や教会は大雑把で寛容で、それなりに重い税と引き換えに、異端を大目に見てはいた。けれどもやがて、イエズス会などの異端審問による抑圧が始まった。
  その結果、商業組織や農耕技術で指導的な役割を果たしてきた有能なムスリムやユダヤ人がいなくなり(いても活動を禁じられた)、域内に固有の活力としての農業や商業が衰退していった。その代わりに、ジェノヴァやフィレンツェの商人たちが、地場産業の成長・自立化を後回しにして、利潤を追求する仕組みができ上がっていった。エスパーニャの経済は趨勢にわたって衰退し続けることになった。

  さて、そこでは、ユダヤ人とは「ユダヤ教徒」のことであった。日本語では、ユダヤ人とユダヤ教徒というように区分された表記ができるが、ヨーロッパの言語では、「ユダヤ人・イコール・ユダヤ教徒」となる言葉しかない。
  その場合、ユダヤ教の教義(経典・戒律)によれば、ユダヤ教徒の母親となった女性は子どもをユダヤ教徒として育てることになるので、ユダヤ教徒=ユダヤ人とは、母系的な血統関係によって、ユダヤ系祖先とのつながりをもつ人びとの集合を意味することになる。
  したがって、ユダヤ人は人種としての区分ではない。
  実際、ユダヤ人には、人種的にヨーロッパ系、アラブ系、中央アジア系、アフリカ系、東アジア系など、さまざまな人種集団が含まれている。
  ただし、イスラエルという「国民国家」のなかで政治的に支配的なのがアシュケナージムなので、ヨーロッパ系の人びとがカテゴリーの「核」としてイメイジされることが多いかもしれない。
  とにかく、ユダヤとは、宗教や言語、文化、祖先への思い入れなどで、漠然とほかの語族・エスニックグループと区分される集合ということになるだろうか。
  そうなると、先祖がユダヤ人(ユダヤ教徒)であったという家系の伝説や「神話」、あるいはヘブライ語の使用などが、アイデンティティの根拠となる。

  はるか古代からユダヤ人は、アルメニア人と並んで、地方的制約を超え出て世界を移動する、あるいは世界を視野に置くしたたかな商人とか知的熟練が高い専門職人であり続けてきた、というイメイジがある。ある意味で事実ではある。
  とはいえ、彼らは古くから、そのかたくなに維持する宗教や慣習によって、各地の伝統的な地縁的住民共同体から遊離=排除されてきた。そのため、地縁的共同体による束縛と保護から排除されたことで、それに依存する生活スタイル・行動スタイルでは生き延びることができなかった。
  つまりは、狭隘な共同体的秩序や世界観からいち早く遊離・独立して、共同体秩序の制約をはるかに超えるような広い視野、物の見方、世界観を身につけなければ、生き抜くことができなかった。ゆえにこそ、古くからトランスリージョナルな、グローバルな世界観や価値観をもち、あるいは共同体と共同体の隙間というか中間を仲立ちする仕事、商業や専門職に生計を立てる道筋を求めることになった。
  それは、遠距離貿易、さらには世界貿易や世界金融に適合した視野と判断力を培わずにはおかなかった。そうした職業と生活は、家族や家系の子孫に、幼い頃から高度な知識や広い視野に見合う思考力を習得させる傾向を強めただろう。
  ことにヨーロッパ北部ではキリスト教戒律や共同体規制によって禁じられていた利子をとる貸金業を専門に担うようになったため、キリスト教徒からの――なかば羨望をともなう――蔑視や差別・排除がひどくなってしまった。
  もちろん他方で、もう一方の極に、かたくななユダヤ教神学者、ファンダメンタリストを育て上げることにもなったのだが。

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