テミスの求刑 目次
冤罪のメカニズムを描く
物語への視点
法と掟の女神テーミス
あらすじ

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冤罪のメカニズムを描く

  この映像物語は、犯罪捜査や裁判の過程で誤りが発生し、その結果として冤罪が発生する危険性が必ずどこかにあるという警告を発している。ドラマは、ある特殊な殺人事件(フィクション)とその捜査ならびに裁判過程を描くことで、冤罪がなぜ、どのようにして発生するのかをという問題を取り上げて、その誤りをただすことの難しさを描いている。

  冤罪とは、司法当局が過誤によって無実の人物を被疑者――以下ではマスメディアの慣例にしたがって「容疑者」と表記する――として逮捕、訴追し、刑罰を加えてしまう事態のことだ。その結果、本来罰せられるべき人物がのうのうと逃げおおせる――犯罪の追及、逮捕・訴追、刑罰を逃れる――という事態を招くということだ。
  司法当局の過誤の多くは、捜査にさいして犯罪の動機や背景について誤った筋読み(ストーリー立て)をおこなうことから起きるようだが、むしろ捜査方針の意図的な操作・運用によるものも含まれるという。
  その場合、犯罪被害者やその家族は、憎しみや被害感情などを、司法当局の過誤によって見当違いの誤った方向に誘導されるということにもなる。

  この映像物語は、冤罪事件の解明をめぐって苦悩する担当検事と若い女性検察事務官の苦闘を描いている。検事は、警察官殺害事件をめぐって無罪の者を罪に問い刑罰を課したことへの自責の念と贖罪のために、その殺害事件から派生した新たな殺人事件において自ら容疑を被って、真相解明に努力し、女性事務官は殺人事件の被害者の家族としての精神的苦痛に悩みながら、真相解明のために奮闘する。

物語への視点

  さて、民主主義を標榜する日本や欧米の市民社会では、司法当局による犯罪捜査と訴追・裁判、刑罰の執行は「罪刑法定主義」の原理にもとづいておこなわれる。刑法法定主義とは、市民社会の諸個人が自立的な意思行為の担い手と見なされることを前提にしながら、犯罪をおこなった個人に対して犯罪となった意思行為をなした責任を問うて刑罰を課すにさいして、いわば商品の等価交換の原理に似せて、「犯罪と刑罰の等価交換」を求める原理だ。
  法理上、市民社会を代表する公権力としての国家は、市民社会の「公共秩序の破壊や逸脱としての犯罪」に対して刑罰権を持つことになっていて、市民社会に向けて、何が犯罪であるかを明示するとともに、犯罪の種類と重さに応じて刑罰を加えるものとする法規範(実定法規範)を制定する。そのさい、犯罪と刑罰の等価性を前提することになっている。
  犯罪と等価な刑罰を課すためには、犯罪捜査と裁判がおこなわれなければならず、その過程で誰がどのような犯罪をおこない、その責任の重さがどれほどのものかを解明し、責任の重さに照応した刑罰を課さなければならない。難しく言うと、【 犯罪事実の捜索と認定⇒可罰的違法性の認定⇒量刑 】というプロセスだ。

  ところが、国家の犯罪捜査と裁判は、警察や検察、裁判官など専門の公権力の担い手すなわち公務員たち、つまり捜査と裁判を担う諸個人や集団組織――生身の人間や人間集団――によっておこなわれる。
  そういう集団組織は市民社会のなかで特有の特権を与えられ、国家装置として公権力の権威や威信を保有するものとされる。一般市民から分離した特殊な集団組織を形成して捜査権・司法権・刑罰権を行使するがゆえに、一般市民とは異なる特殊な利害や意識を担うことになる。そして、市民社会のなかでは、その秩序と平穏の維持のために犯罪捜査と刑罰のすみやかな執行・運用を期待されることになる。
  だが、人間は――個人としても集団・組織としても――誤りをおかすものであり、認識や判断の過誤・誤謬が生じる可能性がある。人間の認識能力には大きな限界がともなっているのだ。犯罪捜査や刑罰の運用が大方おおむね正しいとしても、捜査や裁判の過程でときには過誤や誤謬が発生することもときにはある。
  つまり、ときには犯罪事実の認定を誤ったり、や事態の性質を見誤ったり、誤って無実の人物を容疑者として逮捕し、訴追し、刑罰を科したりすることがあるということだ。

  刑事警察官や検察官による犯罪捜査は、消耗を強いられるハードワークだ。その仕事を遂行するためには、捜査の担い手が動機づけのために、強い正義感や犯罪に対する嫌悪感、犯罪被害者への共感・配慮などが求められることもあるだろう。だが、過剰な正義感や犯罪者への憎しみは、捜査での判断や推理を誤らせるのも、また事実だろう。
  しかも、公権力制度、国家装置である司法当局の内部には、独特の政治力学がはたらいている。それは、大企業の利権がらみ政治がらみの経済犯罪、政治家の汚職事件、警察組織内部の不正や腐敗などをめぐる捜査・立件の難しさを例に取れば、明らかだろう。
  こういう危険をできる限り避けるために、客観的証拠がない場合には容疑者を無罪塔推定する「無罪推定」の原則や、自白偏重の捜査や訴追を回避・排除すべきだという原則がある。欧米や日本では、それが憲法や刑事訴訟法――犯罪捜査と裁判の運用方法・手続き――の基本原理となっている。

  「無罪推定」の原則は、近代初頭の専制的な王政国家のポリス制度では、「犯罪捜査」や「犯罪抑止」が既存のレジームの安定のために、王権の政敵・反対派の弾圧や抑圧のために系統的に利用されてきたという歴史的背景から、市民の人身や財産・権利を擁護するために生み出されたものだといえる。
  日本でも、明治憲法下や昭和の戦争直後の混乱期には、既存のレジーム・秩序維持のために警察組織は、反政府派の弾圧や抑圧のために頻繁に動員された。

  ところが、捜査や裁判で無罪推定の法理が適用されることは、司法当局者たちのとっては、自分たちの捜査方針の失敗や敗北――したがってまた司法当局の権威の失墜――として受け取られる。そのために、客観的な証拠の裏付けが弱い場合に、状況証拠や自白を偏重して強引に公訴に持ち込もうとしがちなプレッシャーにもなりなかねないのだ。

法と掟の女神テーミス

  原作は、大門剛明の『テミスの求刑』、中央公論社、2014年。
  題名のなかにあるテミス(以下ではテーミスと表記)とは、ギリシア神話のなかの「法と掟の女神」のこと。テーミスは、ローマ神話のなかでは正義の女神ユスティーティア――司法とか正義 justice の語源でもある――に同等視されることが多い。
  とはいえ、法と掟の女神と正義の女神とは、微妙に異なるようだ。
  ともあれ正義=司法の女神像はというと、背に回した右手には剣、目前にかざした右手には秤が握られている。つまり、正邪を審判して刑罰を下す女神というわけだ。
  司法関係者にとって正義の女神=象徴とされるのは、何より先にローマ神ユスティーティアで、それというのも古代ローマ帝国で近代につながるような法制度や法運用の学(方法論)が発達したためだろう。ギリシア神のテーミスが「法と掟の女神」から「正義の象徴」に微妙に変異したのは、ローマ神ユスティーティアとの等値関係にもとづいているようだ。
  「テミスの求刑」という作品の題名には、誤謬をおかすことがある人間が司法当局者(検事)として容疑者の罪科の有無や重さを量り、刑を科すことの難しさを警告したいという想いが込められているような気がする。

あらすじ

  静岡県の交番の警官だった父を惨殺された平川星利菜せりなは、3年後、大学を卒業して検察事務官として静岡地方検察庁に勤務することになった。田島亮二検事の補佐をする事務職だ。
  ところで父親の平川章造殺害事件は、やがて容疑者が特定され、検察に送致され自白して公訴され、有罪判決を受け、収監された。だが、容疑者は無実だという覚え書きを残して自殺してしまい、こうして事件は3年前に終結した。
  ところが、最近、星利菜は田島検事の外出中に、検事あてに「無罪の人間に刑を問い収監して自殺に追い込んだ。検事は人殺しだ」という電話を受けた。電話の主は、容疑者となり有罪判決を受けた澤登健太郎の父親だった。
  まもなく、公判当時に澤登の弁護を担当した黒宮が、田島検事に面会を求めてきて、「事件は冤罪だった、今は真犯人を追い求めている」と告げた。そして数日後の夜半、黒宮の電話で田島は黒宮の法律事務所に呼び出された。黒宮弁護士は真犯人にたどり着いたらしい
  ところが翌朝、事務所で惨殺死体となった黒宮弁護士が発見され、田島は行方不明になった。事務所ビルの地下駐車場の監視ヴィディオには、胸や腹が血まみれになった田島がやはり血まみれのナイフを持ってクルマの前に立つ画像が記録されていた。
  警察は画像から田島を最有力容疑者として捜査、追跡を始めた。
  正義感が過度なほどに強い田島検事が殺人犯だとは信じられない星利菜は、田島から電話で頼みごとをされた。星利菜は、田島の逃亡を終わらせるために、警察に協力して、頼みごとを引き受けたふりをして田島をおびき出して捕縛させた。
  彼女は、法律家である田島は警察や検察の取り調べや法廷で真相を明らかにし、無実を証明すべきだと考えたのだ。そして、彼女自身が独自に事件の捜査を始めた。その結果、驚愕の真相にたどり着いたが、それはまた、3年前の父親殺害事件の真犯人をも暴くことになった。

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