ある年の夏、エスパーニャのサラマンカ市のマヨール城広場で公式行事中に、来訪中のアメリカ大統領ヘンリー・アシュトンが狙撃された。直後に演壇が爆破された。できごとは、時刻は11時58分から12時までの短い時間に発生した。
映像は、ひとまずこの時間のできごとを、その場所に居合わせた8人それぞれの目撃情報(映像)を順次描き出し、合成していくことで、事件の経緯と状況を説明していく。
大統領警護官トーマス・バーンズは、ようやく今回のエスパーニャでの国際会議から、大統領警護の任務に復帰した。それまでしばらく、トーマスは長い療養・治療を受けていた。前回の警護サーヴィス(任務)で、大統領が襲撃を受けたときに大統領をかばって自ら狙撃犯の銃弾を受けてしまったからだ。
肉体的な傷と障害が回復してからもひどいPTSD(トラウマ)に悩まされていて、今回ようやく、あのときの恐怖から立ち直り警護任務に復帰することができたのだ。事件の後遺症については、警護官ティームの仲間からもいまだに不安視されている。
何より、バーンズ自身が不安や圧迫感に悩まされ続けている。
さて、陽が高く昇りつめた頃、合衆国大統領が特別車でサラマンカ市のマヨール広場に到着した。
アシュトン大統領のエスパーニャ訪問の目的は、地球的規模での対抗テロ政策をめぐる国際会議で先進諸国の同意を取り付けることだ。だが、先進諸国では、合衆国の単独主義的な姿勢に対して意見が分裂していた。
マヨール広場に周辺には膨大な数の群衆が押しかけていた。大半は好奇心・興味半分でアメリカ大統領を見ようという人びとだった。だが、アメリカの強硬な対抗テロ政策に反対する立場の人びとも集合して、大規模なデモを組織していた。いずれにせよ、大統領の警護にとっては、やっかいな状況だった。
広場の内部や周囲には、警戒やテロ阻止のために、合衆国の警護官ティームだけでなく、スペイン国家警察やサラマンカ市警察などの警官たちも大勢配備されていた。周囲の主な建物の屋上には、狙撃用ライフルで武装した監視・警護班が配置されていた。
トーマスやケント・テイラーらの警護ティームは、大統領のすぐ傍らで警戒にあたっていた。そして、無事に特設演壇まで大統領を送り届けた。 長方形をなすマヨール・プラーザは、四辺を宮殿風の建物で囲まれている(巨大なパティオ風中庭)。特設ステイジは広場の長方形の1辺に設置されていて、広場には群衆がひしめいていた。
ステイジではサラマンカ市長が演説を始めていた。警護班は、広場に面する部屋のすべての窓際を警戒した。カーテンがときおり揺れている窓があった。警護要員に調べさせた。カーテンの動きの原因は扇風機だった。
そして、長ったらしい挨拶のあとで市長はアシュトン大統領を紹介した。大統領が演壇の中央に近づいた。そして演説を始めようとした。
広場では、アメリカ人旅行者、ハウワード・ルイスが小型ヴィデオカメラを片手で持ちながら、演壇の大統領や広場の様子、そして周囲の建物などを撮影していた。
そのときトーマス・バーンズは、演壇に正対する2階の窓から2筋の閃光が飛び出すのを見た。ほぼ同時に、大統領の身体を2発の銃弾が貫いた。ヘンリー・アシュトンは、胴体を撃ち抜かれて倒れた。警護要員が大統領の身体を取り囲み、そこに担架が運ばれた。大統領は担架に乗せられ救急車に搬入された。
トーマスは、広場と周囲の建物を見渡して狙撃犯のさらなる攻撃を警戒した。あるいは、疑わしい人物を。そのとき、広場のなかほどから演壇に向かって走り寄りながら「危険だ、ステイジから離れろ!」と叫ぶ髭面の男を見えた。
その男は警護班によって取り押さえられた。だが、そのとき、ステイジの下で強力な爆薬が炸裂した。ステイジにいた人びとは爆発に巻き込まれた。トーマスら警護班を含めて近くの人びとは爆風で吹き飛ばされた。
その直後、髭面の男は警護班の手を振り切って広場の外に走り出していった。 一方、トーマスの同僚、ケント・テイラーもまた「容疑者を追いかける」と言い残して、広場から外に出ていった。
トーマスは、事件の状況を把握しようとして、ヴィデオカメラで撮影していたハウワードに近づき、映像メモリーを再現してもらうことにした。映像には、広場の群衆、窓際の閃光、倒れる大統領、逃げ惑う人びとなどが映っていた。