爆発の直前、演壇に走り寄ったのは、サラマンカ警察の捜査官エンリーケだった。エンリーケも、広場の警戒の任務を遂行していた。
エンリーケは、だが、広場でガールフレンドのヴェロニカに会う予定だった。彼女から手提げバッグを持ってきてほしいと頼まれたからだ。
ヴェロニカは、広場を囲む建物の回廊にいた。彼女は、見知らぬ男と会話していた。エンリーケが近づくと、男はヴェロニカから離れていった。
エンリーケはヴェロニカにバッグを渡して口づけした。
そのとき、彼女はエンリーケに、仕事は忘れていますぐ旅行に行こうと囁いた。エンリーケは任務があると言って、彼女から離れて、人込みをかき分けながら広場を巡回した。
ヴェロニカはエンリーケが目を放すと、人込みのなかに消えた。
ところが彼が、市長が演説を始めた演壇に近づくと、ヴェロニカが現れて、バッグを演壇の下に投げ込んだ。直後に大統領が撃たれ、広場は大混乱に陥った。混乱のなかで、エンリーケは刑事の直感か、ヴェロニカがステイジに下に投げ込んだバッグには爆薬が仕かけられていると気づいた。
だから、叫びながら演壇に近づいて、バッグを除去しようとした。だが、警護班によって阻止された。そのとき、大爆発が生きた。
「ちくしょう、利用されて罠にはめられた!」とエンリーケは腹のなかで罵った。
彼は追跡者を振り払うように広場の外に駆け出しながら、彼をテロの道具として利用したヴェロニカやその仲間の行きそうな場所に向かった。
エンリーケが道路に出ると、彼の傍らを救急車が走り抜けた。そのとき、救急車のなかに救命士になりすましたヴェロニカがいるのを見た。その救急車の向かう先には心当たりがあった。エンリーケは銃の弾挿を確かめると、固い決意示す表情をして道を急いだ。
中年のアメリカ人黒人男性ハウワード・ルイスは、つい先頃、休暇を取ってアメリカからエスパーニャにやって来た。そしてその日、アメリカ大統領のサラマンカ訪問の歴史的瞬間を携帯ヴィデオカメラに収録しようと、マヨール宮殿を訪れた。
ヨーロッパをはじめて訪れたハウワードにとって、とりわけ――イスラム文化とキリスト教文化とが融合した――多様な文化や文明が織りなされているサラマンカの風物のすべてが物珍しかった。あらゆるものが好奇心の対象で、ヴィデオカメラの映像メモリーに取り込まれていった。
彼は、広場の中央に立って周囲の人びとや広場を囲む建物、これから市長や大統領が演説するステイジにカメラを向けていた。そこにサムという名のサラマンカ人が、ハウワードに声をかけてきたり、人込みのなかで、母親に手をひかれた少女がハウワードにぶつかってしまって、彼女が手にしていたアイスクリームがハウワードの身体にあたって、落ちてしまったり。
そんな偶然の出会いがあった。
さて、ステイジでは市長の演説が終わりに近づき、彼はアメリカ大統領を紹介した。大統領が演台に近づこうとするとき、警護班のトーマス・バーンズがステイジの反対側の建物の2階の1部屋を睨んだ。怪しい動きがあるのか。
トーマスの視線につられて、ハウワードもカメラをその部屋に向けた。窓のカーテンが揺れていた。そして、部屋のなかに人影がさしていた。建物のすべての部屋には人がいないはずだ。事前に警護班が外部の人間の立ち入りを禁じて封鎖したはずだ。なのに、人影が動いた。
演壇中央に大統領が立った。そして演説を始めようとした。ハウワードもステイジに目を向けた。その瞬間、銃声が轟いて2発の銃弾が大統領の身体に撃ち込まれた。とっさに警護班メンバーが倒れた大統領の周りに殺到した。そして、狙撃を目撃した広場の人びとはパニックに陥り、逃げ惑っていた。
ハウワードは弾丸が来た方向、ステイジの反対側に振り向いた。視線の先には、先ほど人影がさした窓があった。ハウワードは、警護から捜査追跡に態勢を立て直そうとする警護班に「あの向かいの部屋だ。誰かの人影がさしていた」と伝えた。トーマスは、ハウワードに駆け寄り、ヴィデオカメラの映像メモリーを再生させた。映像が狙撃現場や容疑者の動きを捉えていないか確認するためだ。
そのとき、ケント・テイラーがトーマスに「向かいの部屋が怪しいということだから、見にいく。君は残れ」と告げて、歩み去った。
ハウワードは、携帯電話を手に取ると、興奮した口調で、アメリカの家族に事件を伝えた。