《イ ヴィチェーレ》へのオマージュ 目次
イタリアの19世紀末
国民形成への道
国民形成の苦難
リソルジメントの意味と限界
トラスフォルミスモ
議会制のあっけない崩壊
ファシズムの歴史的位置づけ
ファシズムと民主主
《山猫》と《副王家の一族》

リソルジメントの意味と限界

  リソルジメント革命まで、イタリアは多数の政治的・軍事的に独立した諸都市や王国、公国などに分裂していた。独立した地方政治体にはそれぞれ支配者としての地方王侯、都市門閥、有力貴族(やその連合)がいて、それぞれに固有の凝集性を備えた排他的な政治的・軍事的単位を形成していた。
  これらの政治体は、ガリバルディの遠征軍やピエモンテ王の遠征軍によって軍事的に追い詰められ解体されあるいは自壊しようとしていた。そして、名目的にイタリア王国は成立した。けれども、各地の支配階級はいまだ従前の地方ごとに分立的な政治的結集や連合を保っていて、イタリアという国民的規模での政治的結集はこれから徐々に組織化されていくところだった。
  つまりは、王国、公国、都市ごとに利害は対立していた。イタリア王国の形成からイタリア国民の形成までは、相当に長いタイムラグがあるのだ。私見では、このタイムラグこそイタリアでファシズムが政権を掌握した最大の原因の1つだと見られる。
  王国議会の選挙がおこなわれたり、上院の議席を与えられたりして、それまで分立・対立していた各地のエリート・貴族層が議会に寄せ集められたが、彼らはまだ単一の国民を形成する集団として自らを意識していなかった。言い換えれば、1870年代にはまだ「イタリア国家」「イタリア国民」は存在していなかったわけだ。

  日本のような海洋によって周囲の政治体から切り離されているという地政学的条件はなく、そえゆえまた――「何となく日のもと」というようなノウテンキな――「島国根性」がなかった。日本の幕末から明治初期の武士階級の「日本としての危機感」――それは「開国派」「尊王攘夷派」などへの立場の分裂をもたらしたが、日本の国家像というテーマをめぐる独特の闘争舞台=アリーナをなしていた――が、イタリア支配層のなかにはほとんどなかった。いや、表明されなかったというべきか。

  しかも、〈北イタリア(ミラーノやトーリノ、ヴェネツィアなどの有力諸都市、ロンバルディア、エミーリャなどの先進的農業地帯)〉と〈ローマ〉、そして〈南イタリア(ナーポリとシチリア)〉の3つの地域には、経済的にも政治的にも融合不可能に見えるほどに大きな差異と格差があった。つまりは、各地の支配階級の利害対立とか政治的・イデオロギー的対抗を深化・増幅する基盤が横たわっていた。
  ガリバルディ派は、シチリア・ナ―ポリへの遠征の成功を後悔した――それがイタリア王国の統合の大きな阻害要因となったため――とさえいわれている。そして、シチリアのイタリア王国への統合に反対した。イタリアを分裂させ、停滞させる要因だとして。

トラスフォルミスモ

  中央政権による王国統治は、こうしてきわめて困難な構造のなかでおこなわれることになった。しかも、西ヨーロッパでは、ヨーロッパでの優位と世界市場の分割をめぐって諸列強が相対立する状況にあって、イタリア国内部での深刻な利害対立を顕在化させるのは、きわめて危険なことだった。分裂は、外国列強による介入を招くことになる。
  そのことは、さすがに自分勝手なエリート・貴族諸分派にもわかっていた。国内主要地帯のオーストリアからの分離独立がどれほど苦難に満ち、いかに大きな犠牲を払うものだったか、身にしみていたのだから。
  というわけで、上下院の議員たちは、議院での討論をつうじて利害の対立点を鮮明にして論争し、妥協点を見出すという手法を避けて、院外での取引きや抱き込みによって多数派を形成し、立法や政策形成での主導権を握ろうと画策した。自分が代表する地方や集団の利害とか立場という原則によってどの政派・派閥に与するかを決めるのではない。
  きわめて個別的・個人的な庇護・恩顧関係とか便益の供与、金品やポストのやり取り、威嚇や弄落によって、相手の変わり身を促迫する手法が政界を支配することになった。原則や目標、規律のない離合集散がまかり通った。
  これが中央政界でのトラスフォルミスモである。

  こうなると、政治家たちは、自分が代表しているはずの階級や地方の利害を中央政府の政策に組み込んだり反映させたりする努力を厭うようになる。論争や面倒な調整による諸利害の妥協や協調をはかることを避ける。その代わりに、自分や家門の栄達や利権を追求しがちになる。
  ということは、それまで分立。対立していた諸地方の利害を調整・統合してイタリア全域を国民国家へと統合していく努力は後回しになる。
  そうなると、中央政府が、南部やシチリアなどの停滞気味で「遅れた」諸地方の経済開発を支援促進して、北部との格差を縮小させたり、こうした地方での深刻な貧困や民衆の抑圧状態を解消するための政策は期待すべくもない。
  少なくとも、議院での公開の論争がおこなわれれば、たとえジェスチュアだけの振る舞いであっても、こうした「社会的公正」とか格差是正のための政策的要求が提起されたであろう。だが、外向きのポーズを気取る場さえも用意されず、ひたすら裏工作による駆け引きや抱き込みが横行し続けた。
  つまりは、国民的規模でのエリートの凝集(cohesion)を組織化できなかったために、統治の危機に対する対応力・耐久性がなかったのだ。
  こうして、深刻な南北格差・対立は緩和されることもなく、むしろ野放しの弱肉強食競争が展開し、南部の貧困と従属状態は拡大深化していくことになる。やがて、それが停滞とマフィアの跳梁をもたらすことになる。

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