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西ヨーロッパ諸国は、自国のエリートの政治的権力(その意味での「自由と民主主義」)のために、従属諸階級や周辺諸地域に対してきわめて過酷な支配や抑圧、収奪を展開したのである。
とりわけ、国民的レジームの形成期・創出期においては、暴力性と抑圧性は著しいものだった。国民という存在は、そういう醜悪な過程を経て形成されるものなのだ。
その側面については光を当てずに、もっぱら中枢部でのエリートの権力や市民的権利の拡大という「栄光の側面」ばかりに目を向けるのは、社会学や社会科学、歴史学の方法にそむくものであろう。
現代のイタリア国民国家の存立への条件の多くは、ムッソリーニのファシズムの遺産――負の遺産――に負っているのである。ブリテンも、フランスもまた然りである。従属や貧困、被抑圧の軛に苦悩し血を流した多数の民衆あってこそのデモクラシーなのだ。そのことを忘れてはなるまい。
デモクラシーはコストとリスクの高い仕組みである。だから、そのリスクとコストをまかなうための資源を仕組みの外部から調達するのである。少なくとも、ヨーロッパや日本については、20世紀初頭ないし前葉まではそういう構造の歴史だった。「先進諸国」の経済成長とデモクラシーの形成は、周辺諸地域の支配や苦難を条件としてもたらされたことを忘れてはなるまい。
現在のリビアやエジプト、シリアやイエメンを見るがいい。デモクラシーの構築に、どれほどのコストとリスクが求められるのか、どれほど負担が重いのかを。まして、それらの諸国民(いや彼らはいまだ「統一的な国民」を形成していない。諸部族や諸地方に分裂したままで)は、外部から資源の収奪(抑圧を随伴する)をする条件がない状況下=時代に民主化(国民形成)を進めようとしているのだ。
さて、話題を戻そう。2つの作品をシリーズとして観るとしよう。
このようにイタリアの19世紀末から20世紀までの変動を観察するために、《副王家の一族》はイタリア王国の形成の意味と限界を突き放した視点で冷静に描き出している。
単なる娯楽作品としてではなく、《歴史映画》として観るとき、すなわち歴史と社会を描くという課題の視点から見ると、この作品はすばらしい出来栄えだといえる。
《山猫》を制作したルキーノ・ヴィスコンティも、原作《イ ヴィチェーレ》の映画化権の獲得をめざしたけれども願いはかなわなかったという。《山猫》の姉妹作というか、別の角度から1860~80年代のシチリアの社会を描きたかったのだろう。
すでに見たように、《山猫》は滅びゆく者(滅びを選んだ者)の視点から、19世紀後半~末の貴族社会の変動を描き出している。レジームの転換期に、貴族層の変貌とか新興成金の台頭を交えながら、とりわけ没落に瀕した貴族から新たなエリートへの転身を企てる青年貴族の野心と行動スタイルをみごとに描き出している。
そこでは、知性や道義、名誉などよりも、目先の利害への執着や権力闘争でしたたかに生き残る身の振り方が優先される現実を突き放して描いている。
その事態を、旧い立場を代表するサリーナ公爵の目をつうじて見つめている。彼は、すぐれた知性の持ち主で科学者でもある。狭隘な利害への拘泥とか迷信から自由な洗練された知識人の視点が、前面に押し出されている。
《副王家の一族》でも描き出そうとする事態は共通している。ただし、旧い立場を代表するのは、高い知性の持ち主ではなく、目先の利害と偏狭な迷信に頑なにしがみつく知性の乏しいウツェーダ公爵(ジャコモ)であって、醜悪なことこの上ない。
そして、主人公のコンサールヴォは、恵まれた立場にありながら、立場の選択にいつも逡巡する優柔不断な青年である。
《山猫》のサリーナ公爵もタンクレーディも、自己の立場の選択に対してはきわめて明確で躊躇がない。
こうしてみると、この2つの作品は、登場人物の設定がきわめて対照的である。
であるがゆえに、相補い合う内容になっている。 両方を観ることで、私たちは、リソルジメント末期のイタリア(ことにシチリア)の社会状況をつかむことができる。
イタリア人の知識人・映画人は、自分たちの歴史を劇的に描くことに巧みだ。
《山猫》《副王家の一族》《1900年》《ゴッドファーザー Ⅱ》をシリーズで観てみることをお勧めする。
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