《魔女の宅急便》が描く世界は、今私たちが失いつつある(あるいは失ってしまった)価値観や常識が力強く息づいている世界です。
その物語に仮託して、言いたいことを言ってみます。今の世の中では、そんな余裕はないかもしれませんが。せめて夢を語らないと。
子どものとき、少年少女時代には、何かに夢中になることがすごく大切!
夢中になる、そのなり方は、このアニメのキキやトンボに学んでみよう!。
周りに気を回す余裕がないくらい夢中になりましょう。
素直な心と明るい態度、言い訳をしない正直さ……で、素直に謝って「はた迷惑」を許してもらいましょう。
うまくいかなかったときの言い訳なんか考えない。でも、失敗した理由はきっちり考え抜くこと。
周りがはた迷惑を許してくれなかったら、って? そのときは、ひたすら謝るか、「あかんべ」して逃げまくるか。
私の子どもの頃はそれで済んだのですが、いまは難しくなっています。
冒険する少女、キキは、「今、このとき」を大事に生きています。真剣に生きているのです。
「テストで良い点をとる」ため、「将来、えらくなる」ために、今しかできない少年少女としての楽しみを後回しにする? そんなの間違いです。
その年齢相応の、いま現在やりたいことをやらず、「将来の準備」ばかりしていたら、できあがるオトナは、中身がらんどうの「骸骨」のような人間。そんなものにしかなりません。
樹木の年輪をご覧なさい。1年ごとの薄い年輪は、けっして将来のためのガマンなんかじゃありません。
きびしい生存環境、きびしい生存競争のなかで、「いまを生き抜くこと」「一瞬、一瞬を必死に生きること」でできあがった暮らしの跡なのです。
内側の年輪なしに、けっして将来、大樹ができることはありません。
気候が厳しくてうまく成長できなかった年の年輪の層は、薄かったり、いびつでデコボコかもしれませんが、その分、しっかり根を張り、水や栄養分の少ない土壌から水分や養分を吸い上げる毛根=活根が発達したかもしれません。
「将来のため」に今現在の楽しみを犠牲にするのは、長い目で見ると、かえって成長を妨げるような気がします。
とはいえ、幼い頃から「英才教育」をして成功する例もあります。
ただし、強制・押し付けだけでいく場合は、子どもが自分としての楽しみとか目的を見失い、苦しくてリタイアします。
英才教育が成功するのは、子ども自身の興味や喜びと結びついたとき、つまりその子の内部に眠っている才能や資質を引き出す場合です。
要するに、才能のある子に適した育成ができた場合で、ギャンブルかもしれません。
英才教育がうまくいった子どもは、いちはやく自分の足で歩き、転び、壁にぶつかり、悩み、こうして失敗から学んで成長します。
私たちオジン(親たちも含めて)は、子どもたち、若者たちに「冒険する機会」「失敗する自由」を大らかに与え、認めてやらなきゃいけないと思います。