当然のことながら、ハロルドのこの姿勢はイングランドのエスタブリッシュメントの強い非難を浴びることになります。
ケンブリッジの学寮長は、ハロルドを晩餐に招待して説得し、プロのコーチへの接近をあきらめてアマチュアリズム賛美を旨とする「ケンブリッジ学生の本分」に従うように圧力をかけます。
しかし、ハロルドは強く反発し、自分の道を歩む姿勢を貫きます。
一方で、旧来の慣行を押しつけようとした学寮の指導者たちではありますが、しかし、ハロルドの異端性と挑戦を(自立した個人の選択として)黙認します。表向きには「批判精神をたたえる学術エリート」に属する彼らは、暗黙のうちに、これまでの限界を突破し、学寮の名誉と業績の金字塔を達成しそうな彼の資質に期待しているようにも見えます。
それは、〈エリート理論〉が指摘している「支配する集団のしたたかさ、狡猾さ」ともいえます。異端派には圧力をかける(足を引っ張る)が、もしも彼らが成功して卓越した業績や能力を見せつけたなら、エリートのサークルに迎え入れようというのです。
そういう異端派を受け入れることによって、エリートのなかでも力を失い没落していく者たちの穴を埋めて、集団としての力を保ち続けようとするのです。
さて、話は戻りますが、この作品の冒頭に続いて大学のクラブ(学寮サークル)による新入生歓迎と勧誘の場面。
その日、陸上競技クラブの主宰で、学寮の時計塔を出発点に回廊と中庭を一周する競技がおこなわれ、ハロルドとアンドリュ・リンゼイが競い合います。2人はついに学寮始まって以来の新記録を打ち立てます(順位としてはハロルドの勝利)。この場面は、この2人がやがて、ブリテンの陸上界はもとより法曹界、政界でときには互いにライヴァルとなり、あるいは同盟者となりながら、卓越したリーダーシップを発揮するであろう将来を暗示します。
ハロルドの寮友には、そうそうたるエリートがいます。まずは、短距離障害走と中距離走のアンドリュ。
彼は、広大な領地を支配する大貴族の子息で、すでに爵位を相続するか、新規の叙爵を受けたかして獲得しています。彼が住む領主館( manner house )の芝生の庭園は、いくつかの森を取り囲みながら、地平線のかなたまで続いています。
その庭でアンドリュは、ハードルの端に高価なシャンペン入りグラスを乗せておいて、それをこぼさないように飛び越しを練習しています。なんともキザなシーンですが、彼の家系の財力と権力を示すできごとではあります。
続いてもう1人、3000メートル障害走のオーブリ・モンタギュは、有力な貿易商人の子息です。彼は実に生真面目で感受性豊かです。ゆえに、この物語のなかで彼は、ハロルドのパーソナリティを浮かび上がらせるガイド役、狂言回しの役割を演じています。ハロルドの繊細な心情や青春の悩みを共有し、学寮での勉学や生活全般のパートナーとなっています。
彼らは「超」がつくほどの飛び抜けた富と影響力、権威をもつ家系のエリ−トですが、若さゆえか、思想的には進歩的で自由主義的、そしてどこか体制批判的でもあり、ハロルドのように優秀な異端児に寛容です。彼らは、精神的に年老い、進取の気風を失った守旧派エリートに取って代わり、異端児をエリートサークルの新たなメンバーとして受け入れながら、支配集団の能力と威信を持続・再生産しようとする本能を身につけています。
彼らの心性と行動スタイルは、ブリテンのトップエリートのなかでの世代交代と勢力図の変化を予兆しています。