炎のランナー 目次
原題について
異端の挑戦とエリート主義
あらすじ
作品が描いた時代と主題
ハロルド・エイブラムズ
ジェントルマン階級
エリートとスポーツ
疎外感と挑戦意欲
異端とエリート
仲間たち 新世代エリート
エリク・リデル
統合装置としてのスポーツ文化
王室の権威よりも信仰を選ぶ
エリート内部の世代格差
ブリテンとアメリカ
アメリカの挑戦
翳りゆく栄光
レジーム変動
ハロルドとエリクの挑戦
 

エリートとスポーツ

   したがって、当時のブリテンには「スポーツの専門家」、スポーツから報酬を得る職業なるものは存在しません。主として〈オクスブリッジ〉など有名大学の学生たちや余暇を持つ富裕家系の若者たちが、アマチュアリズムを第一義とするスポーツ界のトップエリートを構成していました。
  遠征や訓練など費用がかかるスポーツを報酬なしに継続できるのは、大金持ちだけしかいませんから、当然のことでした。

  彼らは、家門の巨額の資産をもとにして毎年、これまたたいそうな収益を得ていました。だから、スポーツの世界ほかに報酬や収入を得る必要を認めていません。しかし、富によっては得られない名誉を求めているのです。
  つまり、エリートたちからの称賛や賛美、民衆からの尊敬とか栄光・栄誉をかちとりたいというのです。

  オリンピックへの参加や入賞は、大変な名誉でしたが、あくまで(専門の職業としての統治や経済活動、研究などの営みの一方にある)余暇の余技として位置づけられていました。徹底したアマチュアリズムの賛美でした。
   このような意識は、スポーツ活動を、資産や特権的地位、高額の収入がなければアプローチできない特権として、一般民衆から遠ざける役割を果たしていました。

  ゆえに、各種の競技団体は、新たに勃興しようとしていた職業スポーツマンを軽蔑し(内心では脅威を感じながら)排除する慣行を打ち立てていました。これらの団体からなる組織の頂点に君臨するのは、これまた王族と有力貴族、富裕家系からなるオリンピック委員会でした。
   このとき、パリ大会出場を準備していたの委員会は、国王代理のプリンス・オヴ・ウェイルズ(当時、皇太子で後に即位してジョージ6世)を中心とする有力貴族のサークルによって運営されていました。

疎外感と挑戦意欲

  ところがハロルド・エイブラムズは、イングランドの富裕階層の一員ではあったものの、トップエリート(支配集団)からは非公式の制度や慣習によってそれとなく排除されているユダヤ人の疎外感を痛感し、エスタブリッシュメントに対する強い挑戦意欲を抱いていました。

  彼の兄は、頭抜けた才能と業績によってすでにイングランド医学会で有意な地位を得ています。ハロルドの不満や疎外感、鬱屈のはけ口は学業であり、いやそれ以上に当面は短距離走での世界制覇という目標に向けられていました。

   そのために彼が選んだ努力の方法は、イングランドのエリートとしてはまったく異端でした。つまり、プロフェショナリズムへの接近、優秀なプロの専属コーチによる指導を自ら求め、業績を追求することでした。

   ところが、アマチュアリズム礼賛のブリテン陸上界にあっては、スポーツ活動から報酬を得る専門職である「プロのコーチ」は、卑しむべき(倫理的に見て一段と価値が低い)職業と見なされていました。ブリテンの公式に認められたスポーツ界には、プロのコーチはいなかったのです。
  そのため、ハロルドが接近できるコーチは、競技団体から忌避されている異端派しかいませんでした。しかも、彼がついたコーチは、イングランド陸上界の「鼻つまみ者」で、天才的な指導者ではあるものの、アラブの血が入ったイタリア系のサマビーニでした。
  彼は、競技団体によって、ブリテンの選手個人への接近を阻まれていました。

   「人種」や「家柄=血筋」が名誉や地位の根拠とされる、それゆえまた差別や蔑視の理由とされるこの時代にあって、サマビーニは、大きなハンディキャップを負わされていたことは、言うまでもありません。
  ところが、彼は競技者の育成にかけては、国際的に名を知られ、卓越した実績を誇っています。そのため、ブリテン陸上界も「気に入らないが、競技レヴェルの向上における貢献度から大目に見ている」人物でした。
   ハロルドは、差別される側のユダヤ人であるがゆえに、そしてまた強い挑戦意欲のゆえに、家系(血統)や人種による差別や偏見から免れて、サマビーニに親愛感と深い敬意を抱きます。

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