ところが、南アフリカのキンバリー近隣のトランスヴァール地方には、ネーデルラントから移住したプランター――地主農民:ネーデルラント語で「 Boer / Boor ボーア:農民」と呼ばれた――たちがいて、政治的・軍事的に強い結束を保っていた。
ボーア住民たちは、ブリテンによる植民地支配レジームが敷かれてからも、強い自治権を持つ地方政府を組織し、ケイプ植民地議会に代表を送り込んで、相当の影響力をもっていた。
一方、セシル・ロウズが支配するダイアモンド鉱山会社は、この一帯で有望な鉱脈を探査し、かなり有望だと判断していた。だが、ダイアモンド鉱山の開発や採掘のためには土地支配が不可欠で、土地所有権や採掘権を確保するためにはボーアたちを追い立てる必要があった。そこで、セシルはブリテン植民地政府をけしかけて、ネーデルラント系プランターに対する政治的・軍事的威嚇や挑発を仕かけさせた。
おりしも19世紀後半、中東とアフリカ大陸ではヨーロッパ列強の植民地獲得競争・再分割闘争が激化していて、ブリテンは1857年にスエズ運河を開通させ、執拗にアフリカ・インド洋方面での勢力拡張を狙っていた。
時流に乗ったセシルは、本国植民地省に南アフリカ=ケイプ植民地の拡張政策を説いた。自分の会社の利害のためでもあった。そして、ボーア人との敵対を理由として、会社の銃砲による武装を合法化し、植民地政府の軍備を横領して自分の会社を武装させた。
こうして、19世紀末には、ブリテン植民地政府とボーアたちのあいだに武力衝突が繰り返されることになった。ボーア(ブーア)戦争である。
この戦争はヨーロッパ系白人どうしの土地争奪戦だったが、アフリカ原住民たちは「人間以下の隷属民」として抑圧されていた。
セシルは、兵器製造業にも手を広げて、ボーア人との対立や闘争にさいしてはブリテン政府や南アフリカ植民地政府に自社の製品である兵器(銃砲や砲弾)を大量に売り込んだ。
そして、ブリテン勢力の武装と圧迫によってボーア人を挑発して武装蜂起や土地占拠に駆り立てるや、今度はブリテン本国政府と植民地総督府を煽って、ボーア人暴動の鎮圧・粉砕に乗り出させた。こうして、ボーア人を駆逐してダイアモンド鉱山開発の利権を独占した。
こうして、ボーア人を封じ込めたうえでブリテン勢力の圧倒的な優越を確保すると、この植民地では土地所有・土地支配をヨーロッパ系白人に限って認めて、原住民やインド人――古くからインド人はインド洋貿易のためにアフリカ南部に移住・植民していた――を土地所有から排除する人種差別の仕組みをつくり上げていった――カラードの土地所有の禁圧。すでにこのときに、人種差別による植民地支配の仕組みとしてのアパルトヘイトの土台を固めたのだ。
ところが、20世紀初頭、プレトリアの東にあるカリナンでも巨大なダイアモンド鉱山が発見・開発されて、キンバリー=ロンドン枢軸――デビアーズ・カルテル――による独占体制は切り崩されてしまった。
セシル=デビアーズ側はカリナンに提携を申し入れたが拒否され、ドイツ出身のベルナールト&エルネスト・オッペンハイマー兄弟にカリナン鉱山の支配権が譲渡されてしまった。
カリナン鉱山はまたたくまに巨大化して、キンバリーと対等に競争できるほどのダイアモンド原石を供給する企業に成長した。そして、ロンドンのシンディケイトからダイアモンド取引きの代理店資格を獲得した。
ロンドンのダイアモンド業界としては、原石を買い占めるためには、オッペンハイマーに特権を与えるしかなかった。原石の採掘と販売で富豪となったオッペンハイマーは新興財閥としてロンドンのエリートサークルの仲間入りをした。
けれども、オッペンハイマー財閥もまもなく、ダイアモンド原石の供給における利潤を最大化するためには、デビアーズと競争するよりもむしろ提携して、供給の独占体制を組織化する――これによってダイアモンド原石取引きで野独占価格――必要があることを学んだ。
オッペンハイマーは、エリートサークルに仲間入りしていくと、ロスチャイルドをはじめとするシティの金融資本による圧力や入れ知恵を受けて、資本の権力の組織化の方法を学んだのだろう。
やがてカリナンはデビアーズ財閥に統合された。経営権が独立した企業の間の協定にもとづくカルテルではなく、はるかに強力な企業結合=トラストを組織化したわけだ。そして、1927年には、アーネスト(エルネストの英読み)・オッペンハイマーは、デビアーズの重役会議を取り仕切る立場になった。
こうして、デビアーズはダイアモンド供給市場の90%を占有する独占体制を築き上げた。
美しく輝くダイアモンドの世界貿易を取り仕切る怪物コンツェルンは、上記のようにマルクスの「本源的蓄積」理論を地で行くような血生臭い権力闘争と収奪・抑圧のなかから生まれてきたのだ。
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