魔女の宅急便 目次
失敗する自由のすばらしさ
キキ、修行の旅に出る
冒険とは善意を信じること
失敗が知恵や出会いを生む
出会いは冒険
スランプは大事な経験
自分の個性を見つける
夢中になってスランプを忘れる
冒険に挑む少女キキ
かわいい子には旅をさせよ
失敗する自由、ばんざい!
今、このときを大切に
いろいろチャレンジさせる
幅広く価値観を選ぶチャンスを
素朴な疑問や批判精神こそ大切
自分の興味に突き進め!
「教育」についての勘違い
フィンランドの教育
「弱い国」の「強い生き方」
人口過密社会=日本の問題
「国のありがたみ」の意味

自分の興味に突き進め!

  アニメ「魔女の宅急便」に登場する主な面々は、それぞれ自分の好きなこと、得意なことに打ち込んでいます。
  まずトンボ少年。
  とにかく、生き物でも機械でも、空を飛ぶものにものすごく興味・好奇心があるのです。
  だから、自力で空を飛ぶ魔女なんかは、彼の世界のなかではVIP中のVIPで、尊敬の的。それで、キキの友だちになろうとします。
  そして、人力で空を飛ぶメカニズムを工夫・考案し、とにかく想像力を発揮します。

  次に、ウルスラ。
  この女性画家はプロの絵描きとして、世界のあらゆるものに関心をもち、描こうとしているようです。
  山のなかで女1人で暮らしながら、創作活動を営み、ときには都市に出かけて、買出しをしたり、キキを含めた友人や知人を訪ねたりします。

  パン屋の店主は、奥さんや子どもを可愛がりながら、早朝から一生懸命にパン生地をこね、焼きがまを管理しています。
  近所の美人の女性デザイナーもしかり。
  街の掃除のおじいさんも、街路や高い時計台や鐘楼も清掃しています。
  キキがはじめてこの町にやってきたとき、変な飛び方をして交通妨害したときに、キキに注意し、とっちめようとした交通警官も、やはり一生懸命。

  仕事にいそしむ姿は、私たちと同じです。
  ちょっと違うのは、アニメの世界だからでしょうが、自分の仕事に限りない誇りと興味・好奇心を抱いているのではないか、と思える点です。
  概して人びとは、キキやトンボの冒険、一心不乱の突っ走りに対して寛容です。

「教育」についての勘違い

  この記事を書こうと思ったのは、最近の日本の「教育」の動きや表明する考え方に、ため息が出るようになったからです。前から迷走していたが、ついにここまで来たか!?と。

  私は、ずっと「問題児」「脱線者」であったせいか、「教育」という言葉は何となくきらいです。「教えてやる」「育ててやる」という姿勢が見え見えのような気がするからです。
  学校でやっているような意味での「教育」について言えば、「子どもは勝手(自発的)に育つもの」として対応すべし、というのが私の考えです。
  今は、政治家も含めて「おとな」が前に出すぎです。

  もちろん、社会的動物としての人間は、いやほとんどの動物でも、親や先輩、年配者、そして同世代によるコミュニケイション、相互作用(影響を与え合うこと)が成長とその後の生存にとって必要不可欠です。
  言葉=言語や社会の規約=規律からはじまって、世の中で生きるための技能や知恵=知識の伝達あるいは蓄積は必要です。

  でも、「いじめ」や体罰などが頻繁に起こるのは、私たちの社会の仕組みや傾向がそうなっているからではないでしょうか。世の中の歪みを放置して、学校教育だけ「正常化」できるものでしょうかね。
  発言力や発言権の強い産業や業界の言い分を聞いて、庶民の切実な要求にあまり目を向けない政治は、ずっと以前から「弱い者いじめ」だったのではないでしょうか。
  どんなに綺麗ごとを言っても、政治とは権力闘争の世界です。強さを求め、強い側に群がりたがる。負担は発言力の弱い立場に押しつける。つまりは「弱い者いじめ」の世界なのですよ。

  経済的競争は過剰になって、人びとは支え合うよりも「つぶし合う」ようになっているように思います。
  それとも、私たち人類は、地球の資源の量から見て人口が増えすぎたために、互いにつぶし合い傷つけあって大量滅亡するように運命づけられているのでしょうか。

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