フィンランドは人口はおよそ512万、日本の20分の1以下です。小学校では1クラス上限で15人くらいとか。
だいたいは、グループ別に分かれて学習します。先生が全員に教える「一斉授業」は授業時間のせいぜい1割程度だとか。
あとは、グループのなかでも、本人の興味や習熟度などに合わせた個別学習・独習が基本のようです。教師は指導者・引率者ではなく、サポーターなのです。
学習で悩んだりいきづまったりする子どもがいれば、まずグループの世話役の生徒や周りの子がいっしょに悩み、検討します。
先生は指導者・管理者というよりもカウンセラーとして、1人1人の子どもの成長を見守り、子どもたちだけでカベをクリアできない場合のアドヴァイザー役に徹しています。
もちろん、テクストはありますが、日本の「教科書」や「学習指導書」とはまったく違います。テクストも、数ある参考資料・検索手段の1つにすぎません。
子どもたちは、授業時間中でも、自分の必要や興味に応じて自由に図書館に行き、あるいはコンピュータ(ウェブ)を利用します。
みんなが、自分がいま抱いている将来像や目標(なにができるようになりたいか、どんな職業をめざしたいか)に応じて、課題をもっていて、それを子どもなりに自分自身の問題と思っています。
子どもたち自身に、そのときどきの「自分の目標」「自分の課題」を見つけさせるのです。その方がやる気・意欲が強まります。
ですから、みんなが1人1人別個バラバラな内容を学んでいるにもかかわらず、教室はいたって秩序正しく、静穏です。みんな集中していますから。
学習指導要領なんていう、個性を押しつぶして、「だれもが平均人」なんていうプログラムはありません。
教育や学習は、1人1人の自立的な固有の権利なんですから。
フィンランドは人口から見ればきわめて小さな国。
東というか南にはロシア(以前はソ連)、南にドイツ、西にスウェーデンという列強諸国家に囲まれています。
小さな国が独立を保ち、国際的な経済的競争に伍していくためには、市民1人1人が大事な、有能な「戦力」として成長し自立していくしかありません。
二十数年ほど前までは、ペイパーテストと欧米型の「学歴競争」に強い人材を育てようとしたらしいです。
が、やはり、いきづまり、落ちこぼれの続出で、教育・学校制度・政策を全面的に再検討したのです。ちょうどその頃、1980年代には北欧諸国でも金融バブルがはじけて不況が続いていました。
結局、みんなが互いに自立を助け合う、という方向で教育も含めて国家の政策体系が組み立てなおされたようです。
結局、ペイパーテストの点数から最も遠回りした教育・学校制度にした結果、20年後には、国際学力試験で全科目トップクラスになったのです。
しかし、当のフィンランドにとっては、このテストでどの位置にいようが(上位でも下位でも)おかまいなし。
数値的な比較や優越では、強い市民社会は生まれないという認識なのですから。数値ではなく「質」に重きを置いているのです。
おそらく、優秀な成績をとったのはは、そういうテストがムチャクチャ得意な子たちがたまたま数多く挑戦したのでしょう。
そういう子どもたちもいれば、花を育てるのが好きで、そのために植物学や生物学などに詳しいオタク子どももいたりする。みんな自分の課題に向かって突っ走っているのです。