さて、きわめて自己中心的な私としては、自分がそうなら他人もそうだろう、と考えました。よほどに記憶力や分析力が明晰で、かつ記憶力が秀抜な人でなければ。まあ、普通の人はそうだろう、と。
映像物語を理解するための考察・分析を専門にあつかう記事が必要ではないかと考えたのです。
他人様には迷惑この上ない、当て推量かもしれません。余計なお世話でしょう
ところが、映画やドラマ作品の制作にあたっては、原作者や映像制作陣が、作品の巨視的な構図や奥行きはもとより、場面や背景の細部いたるまで緻密に検討して作品をつくり上げています。
にもかかわらず、仕上がった映画作品を、観客の多くが「単なる消費対象」として「一度観てそれで終わり」というのでは、あまりにもったいないではありませんか。
むしろ、この世の中や人間存在、時代や歴史というものについて考えるうえで格好の材料ではないかと思えるのです。
それなら、このサイトで(批評や評論はできるだけ抜きにして)映像物語や背景、人物や事件の言動の因果関係、背後にある文脈そのものを考えるための試論的材料を提供しよう、と思い立ったのです。
映画を「娯楽として消費する」のに、何でそこまで考えなくっちゃいけないんだ。そう思う人も多いでしょう。まさに余計なお世話でしょう。
だから、読みたい人だけに読んでもらおう。「読まない自由」を最大限尊重した書き方にしよう、ということになりました。
そこで、アクセス回数や人気度を求めないようなスタイルにして、読みたいと思った人には、じっくり読んでもらおう、(というよりも)いっしょに考えてもらおうと考えたわけです。