さて、映像以外の文字媒体、たとえば書籍(文庫本含む)や雑誌、新聞などで小説や報道記事を読む場合には、誰が、いつ、どこで、なぜ、どのように、何をしたのかを理解できないと、満足できないというのが普通でしょう。
ところが、映像メディアでは、視覚=画像は情報量が多いせいもあり、流れる情報を追いかけていくことが、見る側のスタイルになります。
本を読む場合のように、
なぜ登場人物はあの場面であのような行動をとったのか、
そのとき心理は…、
その人の置かれた状況とか立場は…、
なんてことを考えていたら、映像の動きのペイスに置いてけぼりにされて、かえって物語の筋道がわからなくなってしまいます。とくにアクション映画は。
こうしてシーンごとの動きについていくことだけで集中力と思考力、判断力を使い切ってしまうので、映画やドラマを観終わったあとには、文脈や背景についてまとまった印象が残りにくいのではないでしょうか。
私の場合はそうです。場面ごとに感情移入しすぎるのかもしれません。記憶力が悪いのかもしれないですね。
とはいえ、私の場合、文章を読むことが好きなので、映画もまた文章と同じように文脈や論理を理解したいという欲求が強いのです。
その事件はどういう状況や時代背景、歴史的文脈で生じたのか、登場人物たちはなぜそのとき、あのように行動したのか、心理の動きはどうなのか、と。
そもそも、その前提として、人物たちのパースナリティや思想、感性のありようはどうか、人物設定はどうか、なんて考えてしまうのです。
そういうことが気にかかってしょうがない。つまり、背景とか心理の動き、人物造型などについて、一応の理解ができないと、映画の「物語がわかった」という気にはならないのです。
そこで、作品を何度も見直し、全体の構図はもとより、場面ごとに分析・解読することになるわけです。すると、意外なほどに背景や奥行きが見えてきます。
というわけで、このウェブサイトを読んだ人たちは、歴史や今を語る情報メディアとしての映像物語の途方もない奥深さや広がりを知ることになるでしょう。
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