『フローレス』の歴史的背景 目次
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マルクスの限界を超えて
エドワード・ロイドのカフェ
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エドワード・ロイドのカフェ

――ブリテン資本の世界貿易支配とロイズ――

  さて、以上に述べてきた観点からすると、シティの金融(貿易)資本の権力、その一端としてのロイズ協会( Society of Lloyd's )とはいったい何か、どういう存在なのだろうか。別の言い方をすると、保険業の仕組みは、世界的規模で編成された資本の権力構造のなかでどのような役割を担っているのか。

  ところで、「ロイズ」は英語では〈 Lloyd's 〉で、「ロイドの」あるいは「ロイドのもの」という意味である。そしてロイズ協会は〈 Society of Lloyd's 〉である。それでは、ロイズのあとに何が省略されているのか。

  話は17世紀の半ばにさかのぼる。
  その頃、ブリテン資本と国家の権力ブロック――インナーサークル――は、競争相手のネーデルラントをヨーロッパの最優位から引きずり落として、自らがヘゲモニーを手にしつつあった。
  当時、ヨーロッパ全域で飛び抜けた富裕な商人階級が住む都市、すなわちメトロポリスは、たいてい海と港湾――世界貿易の経路や拠点となる大河や運河とのアクセスが最適な環境――に面していた。
  たとえばロンドン、アムステルダム、ロッテルダム、バルセローナ、ヴェネツィア、リスボン、マドリード、ジェーノヴァ、ブリュージュ、ハンブルク…。例外はごく少数で、パリやミラーノだった。

  その当時も急速で大規模な致富の手段は世界貿易で、港湾があって海運や倉庫などの物流装置が備わっている都市こそ、世界貿易の組織化の中心地、仲介組織として、世界貿易の利潤を集積する場所だったのだ。
  そういう巨大な商業都市の中心街には、必ずと言っていいほど、カフェがあった。
  とはいえ、カフェは一般庶民にはおよそ手が出ないばかりか、想像すらできないほどの奢侈品、贅沢品だった。なにしろ、20s1袋のコーヒー豆で邸宅が買えたし、カップに入れる砂糖も希少価値の高い超高額商品で、場合によっては金貨の代わりになったというくらいだ。
  つまり、今の物価でいうと、カップ1杯で何万円、いや何十万円のシロモノだった。カフェは特権身分や富裕階級の嗜好品だったのだ。

  港湾に面した都市のカフェは、貿易商人や船乗りのたまり場だった。船乗りといっても、当時は、冒険航海事業というハイリクス・ハイリターンのヴェンチャー・ビズネスに一定の持ち分――自分の身体や技能を含めて――を投資するビズネスマンだった。もっとも多くは目端の利いた冒険家で、ときには海賊=私掠活動も辞さない荒くれ者なのだが。
  でも、ことのほか金回りがよい階級だった。というよりも、船乗り(航海事業者)のなかでは金持ちしかカフェには入れなかった。冒険事業に成功した者たちしか高価な嗜好品を扱うカフェには入れなかったのだ。
  貿易拠点となる港湾都市のカフェは、冒険航海や貿易をめぐるヴェンチャー・ビズネスに関する情報の交換や自分の売り込みがおこなわれる取引き市場であり、また世界貿易に関する投機話や投資話が飛び交うとともに船荷証券などが売り買いされる「有価証券取引所」でもあったのだ。

  さて、では1690年頃のロンドンのタウワーストリートにあった、とあるコウフィーハウスを覗いてみよう。言わずと知れた「エドワード・ロイドのカフェ」である。つまり、「ロイズの」カフェ店だ。
  そこに集まる面々が「ロイドのカフェの仲間: society of Lloyd's coffee house / company of Lloyd's 」である。
  ところでこの場合、ソサイエティは団体仲間を意味する。カンパニーはもともとは、王の遠征活動キャンペインの軍に参加した貴族の同盟・仲間を意味する語だった。つまりは征服活動・遠征キャンペイン遠征野営地・野営陣キャンプ(陣営)という言葉から派生したものだ。これも今や、仲間団体を意味する語だ。
  さて、エドワード・ロイドのカフェにはブリテン中(ほとんどはロンドン)の貿易商人や海運業者とか富裕な船乗り、あるいは貿易に投資している有力な金融業者たちが、入れ代わり立ち変わり集まった。彼らのなかには爵位を持つ者もかなりいた。こういう輩がロイドの店に集まる仲間だった。

  店主のエドワード・ロイドは、ブリテンが進出した世界各地の商人たちや海運業者たちから船舶=船便の航海・運航情報を入手していた。そして、この店に立ち寄る海運業者たちも、自ら耳よりの海運情報を持ち込んだ。ロイドは、それを Shipping News (船舶時報)という新聞として印刷して、そこそこのティップをもらって店の客たちに提供していた。
  どの船舶がどこの港湾にいつ入港しいつ出港したか。積み荷は何で、どれほどの量だったか。価格は。というような情報が『シッピング・ニュウズ』に載っていた。たとえば、積み荷が穀物に関する場合には、仲買業者や先物取引業者にとっては、半年以上も前から穀物栽培地の気象や作柄についての情報が必要である。『シッピング・ニュウズ』はそういう情報を読み取る資料集だった。
  もちろん、ヨーロッパ諸国家が貿易をめぐって敵対し合っている状況下、船舶の武装状態や護衛の艦隊の様子も重要な情報であった。

  つまり、このカフェは世界貿易で最優位に立つブリテンの海運・船便に関する情報の集積地となっていて、世界貿易・海運をめぐる情報を交換する場となっていたわけだ。
  17世紀末といえば、イングランド王室特許の東インド会社の全盛時代だ。ブリテンの世界貿易のほとんどをこの特権会社が仕切っていた。ということは、ロイドの店に集積する情報の大半が、東インド会社所属の商人たち、あるいは彼らの雇われた船乗りたちからのものであったろう。
 それにしても、こういうカフェはロンドンでロイドの店だけではなかった。いくつもあった。

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