第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
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だが、緩やかに結びついた部族連合にすぎない王国は、1世紀もたたないうちに王位継承紛争から分裂・混迷に陥った。その間隙をついて、711年、北アフリカのイスラム勢力がヒブラルタール海峡を渡って侵入してきた。イスラムの軍勢は破竹の勢いで侵攻し、716年までにはイベリアの征服が完了した。
この征服は直接的な軍事力による征圧・支配で実現されたところもあるが、大半は、在来の地方的支配者がイスラム軍と協約を取り交わし、その上級支配権を認めて貢納や税の支払いと引き換えに、従来の地方的権力を維持し続けるというものだった。ムスリム統治者は宗教的には寛容で、住民の従来の信仰を認めた。
とはいえ、イスラムの宗教と文化は徐々に住民社会に浸透していった。時の経過とともに、経済的にも文化的にもヨーロッパよりもはるかに進んでいたイスラムに改宗する者が増加し、その子孫はムワラドと呼ばれた。アラブの風習になじむ民衆――モサラベと呼ばれた――も数を増していった。
当時イスラムは科学、医学、文芸、都市建設、交易などではヨーロッパをはるかに凌駕していた。こうして、イベリア半島は、ローマ帝国や西ゴート族の遺制に、ローマ教会=カトリシズム、さらにイスラムの統治と宗教・文化が反発・混合・融合し合う独特の社会状況を呈することになった。他方、イベリアの縁辺に追いやられたキリスト教勢力にとっては、イスラムからの支配地(ヒスパニア)の奪回=再征服活動としてのレコンキスタ
Reconquista が始まることになった。
イスラム人たちは、北アフリカや中東から高度な灌漑技術や農耕技術、都市建設技術を持ち込んだ。とりわけ西ゴート族支配層は土地経営や農耕には無関心だったため、イベリアの農業は粗放農耕にとどまっていたが、イスラム人たちは優れた技術による土地の開墾や乾燥地帯での農耕の開発を進め、さらには都市建設を推し進め、イベリアの社会と文化に大きな変革をもたらした。
ヒスパニアは、ウマイヤ朝カリフが核になってゆるやかに統合されていたイスラム圏のなかで、属州イフリキーヤ(北アフリカ)の属領アル・アンダールスとして位置づけられた。アル・アンダールスの統治は、形式上、イフリキーヤの太守から派遣された属領総督が担うものとされた。ところが、756年には総督の地位を簒奪したアブド・アラフマーンが、コルドバを中心に独立の王朝的統治――後ウマイヤ朝と呼ばれる――を始めた。
ところが、この王朝の支配圏域の拡大はイベリア全体にはおよばず、ナルボンヌやカタルーニャ、ナヴァールはフランク勢力に渡り、カンタブリアおよびアストゥーリア地方にはカトリック勢力が残存した。そして、トレードなどイベリアの中央部やサラゴーサでは、コルドバの属領総督王朝に反抗するアラブ人諸侯領主層が割拠していた。
9世紀には統治機構の再編が進み、後ウマイヤ朝の宮廷では、職掌が細分化され人数が増えたワジール(長官職)を指揮、統合するハージブ(侍従職)がアミールの補佐役とする体制ができあがった。しかし、辺境ではムワラドの地方有力者たちはコルドバのアミールに臣従しながら、半ば独立の地位を築いていた。そのなかには、ナヴァールの君侯との血縁関係をもち、アミールとキリスト教勢力やフランク族諸侯との仲介役を果たす家門もあった〔cf. 安達〕。
中世の運輸通信システムと軍事技術では、領主層による地方統治を抜きにして広大なイベリア半島を政治的・軍事手的に統合することはまず不可能であった。このような事情は、ほかのヨーロッパ地域と同じだった。カリフ王朝は、地方の有力領主に形の上では中央政府に服属する地方総督としての地位を与え、見返りに特権を与えてその自立的な統治を認めるほかはなかった。
中世までヨーロッパよりもはるかに進んだ農業・工業・商業の技術や軍事力、科学知識、清潔で秩序だった都市文化を誇っていたイスラム世界がなぜ資本主義的経済システムに移行発展しなかったのか。これは、解答が出せそうもない世界史の大きな疑問のひとつだ。
ここで、論証する用意もないままに私の印象を述べるなら、ヨーロッパでは多数の自立的な政治的=軍事的単位が乱立し、並存、闘争し合っていたこと、それゆえ経済的生産活動が直接かつ強固に軍事や戦争と結びついていたことが決定的な要因ではないか、ということになる。
カール・マルクスは、近代ヨーロッパ啓蒙思想の影響を強く受けながら、資本主義システムについて、経済的再生産の仕組みを政治的・イデオロギー的・軍事的要因から切り離し、自立的な運動法則を持つ構造としてその「経済学的解剖」をおこなった。だが、上記の私の印象からすると、その方法は《歴史認識》としては大いなる的外れではないかということになる。
そこで私は、ここでは政治的・イデオロギー的・軍事的要因を経済的再生産と直接に連関させて歴史分析をおこなうことにした。というのも、ここでの目的は経済史の過程それ自体ではなく、近代国家――近代国民国家――の形成という政治的・イデオロギー的・軍事的事象の解明にあるからだ。そして、この解明こそが、経済史をより正確に認識するための有効な方法だと考える。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成