ところで、すでに少しく触れたように、この頃――1950年代前半――に「地方ボスの横暴に立ち向かう孤独なヒーロウ」という西部劇のひとつのパターンが確立した。『シェイン』が1953年、『真昼の決闘』が1952年だ。
「地方ボスの専横に対して孤高のガンマンが立ち向かう」という物語のパターンだ。だが、ハリウッドに対する「赤狩り」の嵐のなかで、このパターンは一時的に後退して、「ジョン・ウェイン型」のヒーロウ像が幅をきかす時期が続いた。
そういう西部劇では、北アメリカ原住民(インディアン)の居住地を奪い取ってアメリカ合衆国という政治体が形成されたこと、西部における大地主=地方ボスと小農民や都市住民との階級格差や利害対立、地方ボスによる小農民の圧迫・抑圧などの史実はすっかり画面から締め出されることになった。
反左翼イデオロギーと赤狩りの席巻のもとで、地方ボスの横暴を描いた『真昼の決闘』も『シェイン』も、監督や脚本家が「コミュニスト」の汚名をかぶせられる危機に直面したくらいだ。
ということは、地方ボスが横暴に権力を行使するという政治権力の構造が合衆国には広範囲存在し、そういう現実を映画というメディアに持ち込むことは、エリートからすると――民衆の批判精神を呼び起こすかもしれないので――きわめて都合が悪いという事実を反映している。
つまり、そういう地方ボスたちが、1950年代前半の「赤狩り」を推進した勢力の背後にいたということだ。そして、そういう権力構造を茶化したり、批判するような気配がある作品については、封じ込めようとする圧力がはたらき続けていたのだ。
あのチャールズ・チャプリンも、資本主義を批判・風刺する映画作品をつくったために、エリートやメディアの非難にさらされ、アメリカにはいられなくなって移住した。
世界大恐慌から第2次世界戦争期にかけて、合衆国政府とトップエリートたちは、ハリウッドの大資本・有力企業家たちを含む政財界の有力者を緊急管理局という政府組織のもとに結集させ、政治的に組織化した。臨戦緊急レジームを樹立するために、エリートを政治的に凝集させて、国民的な政治的結集の核として機能させた。
その動きは「軍差複合体」を生み出した。ハリウッドもまた、この軍産複合体レジームのもとで、文化・イデオロギー戦線を担う部門としての機能を担うことになった。
第2次世界戦争後、軍産複合体はアメリカの政治と経済の中核に居座ることになった。そして、議会の右翼政治家の活動と結びついて、文化やメディアに隠然たる影響力をおよぼすようになった。
そういう社会状況をもたらしたのは、世界的規模での冷戦構造、冷戦イデオロギー、現実の軍事的な対決の構造だった。
地方ボスの権威や威信を批判する人びとは、「赤=共産主義者」として抑圧され、メディアでの活動の場を追われていった。
今では笑い話のように聞こえるかもしれないが、《横暴な地方ボス対小農民・小市民》という構図は、アメリカの右翼保守派には、マルクシズムの「階級闘争史観」が入り込んでいるという被害妄想をいたく刺激し、排斥運動に結びついたようだ。残念なことだ。
それはマルクシズムの影響ではなく、むしろ現実に存在する政治状況を多くの市民や文芸家が感じ、見聞しているということなのだ。現実がるからこそ、映画芸術や文芸作品の物語のなかに取り込まれるのだ。
ところで、この構図は、イタリア系西部劇に継承されていった。この系譜の「マカロニウェスタン」作品で活躍したクリント・イーストウッドが、リアリズムと皮肉を込めた――『ダーティー・ハリー』シリーズから『許されざる者』までにいたる――《孤立するヒーロウ》像の物語を描いてきたのは、あるいは彼なりのアメリカ映画の主流に対する批判精神・風刺があるのかもしれない。
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