シェーン 目次
消えゆく辺境
大農場主vs小農民
孤高の戦士と農民
「さすらう用心棒」
『シェイン』が提起したもの
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消えゆく辺境

  ここでは、懐かしの西部劇映画『シェーン(1953年)』――原題 Shane :記事中では原音に近づけて「シェイン」と表記 ――の物語や人物、状況設定などについて、ごく簡単に取り上げる。
  この物語が繰り広げられた時代は、おそらく1880年代ごろに当たるだろう。このサイトで取り上げる予定の『天国の門』が描いた時代よりも、いくぶん前かもしれない。場所はワイオミング州の開拓地。
  南北戦争もとうに終結して北東部の金融資本・工業資本のヘゲモニーのもとで北アメリカ各地の統合がいよいよ進む頃合いだ。北東部の大資本に誘導されながら、鉄道が西漸して建設され、西部が大規模・組織的に開拓されている時代だ。
  ということは、開発ブームで西部の開拓者農民のあいだで弱肉強食の競争原理が遮るものもなく展開し、開拓や農耕栽培のために借財を負った中小・零細農民が没落し、大農場主が所有地を拡大する動きが活発化する頃合いでもある。


  ワイオミングを含む北部諸州では、1862年の連邦ホームステッド法制度によって、多数の移民を開拓農民として送り込んで、辺境荒野の開拓を奨励した。けれども、1880年代になると、開拓に有利な条件の良い土地は、すでにあらかた大牧場主によって領有され、牧草地などとして囲い込まれていた。彼らによって、大西洋沿岸(東部)諸州での人口増大、都市集落の拡大、商工業の発展に対応するための食糧供給をまかなう大規模な酪農経営が組織され始めていた。
  ホームステッド法は最後に残された北西部――ワシントン州、ワイオミング州など――での農地開拓を、開拓に成功した者たちに土地所有権を認めるという競争原理によって辺境開拓を推し進めるための制度だった。したがって、弱肉強食の競走論理がはたらくことは避けられないはずだった。

  大牧場主・大農場主たちは、北部諸州の支配階級として結集しながら、急速に資産を拡大しながら、辺境に都市集落を建設し定期馬車便や郵便制度、船舶輸送網、そしてやがては鉄道などのインフラストラクチャー建設を主導していった。
  彼らは州議会や連邦議会に自分たちの利害代表を送り込んで、州政府や連邦政府を辺境での経済開発に巻き込み、大規模な政府財政による支=公共投資を促進した。
  というわけで、19世紀末、彼らは急激に資産を膨張させて、地元の有力地方ボスに成り上がり――「新貴族層」とか「領主層」と呼ばれるほどの権力を横暴に振り回し――、東部での産業・貿易発展と結びついて、巨額の資産を商工業への金融投資に振り向けた。こうして、彼らは金融寡頭支配層に上昇していった。連邦元老院(上院)や代表院(下院)は民主主義の制度でありながら、彼らを地方の新貴族層として階級的に凝集させる政治装置となった。

  というのが、『天国の門』の時代背景なのだが、『シェイン』の物語が展開するのは、それよりも十数年くらい遡った時代だろう。というのも、大牧場主たちは粗暴で洗練されていないし、階級や身分として結集していないからだ。あるいは、ハリウッドは「赤狩り」の脅威に怯えていて、物語を《階級闘争》という文脈のなかに置きたくなかったのかもしれない。
  とはいえ、ガンマンどうしの決闘という外被に覆われてはいるが、この作品は紛れもなくアメリカの辺境での階級闘争の独特の形態を描き出した作品で、その意味では、制作陣の意図にはかかわりなく、客観的には歴史的な史料として大きな意味を持つ。
  とはいえ、何よりも私は映像の美しさに感動し、アメリカ風の文化の―― 一面での――素晴らしさを深く実感した作品でもある。

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