私たちは「豊かさ」や「便利さ」「快適さ」を急速な経済成長という形で求め続け、その代償として多くのものを失い続けてきたようだ。そして今、歯止めの利かない人口減少や高齢化――大きくは気候変動や環境破壊――など現代文明の衰退への予感や危機感のなかで、自然環境と穏やかに付き合う農村生活の素晴らしさにようやく気付き始めた。
里山の暮らしのなかに生き物としての人間の本来の生活のリズムがあるのではないか。経済的収入を得るために速すぎるほどの変化についていこうとして、心の重荷をますます重くしているのではないだろうか。この映画は、そんな静かな問いかけが聞こえてくるような作品だ(2002年作品)。
原作は、芥川賞作家、南木佳士の『阿弥陀堂だより』(文春文庫、2002年刊)。
原作では、映画では描き切れなかった背景や経緯が記されているので、ぜひ一読を・・・とお勧めしておく。さて、その物語のなかでは、主人公の上田孝夫の家族の様子や谷中村を離れることになった事情、孝夫が美智子との出会いや恋愛、結婚にいたる経緯などが描かれている。
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ロケ地:飯山市瑞穂福島に保存されている阿弥陀堂。棚田が連なり千曲川を見おろす斜面にある。信州ではこんな風景があちこちで見られる
日本の里山はどこも美しい。撮影が行われた長野県飯山市を中心とした奥信濃も、豪雪地帯で気候は厳しいが、四季の移ろいが鮮明な田園と山野が広がる地方だ。スキーを趣味とする私は、この40年間、冬はもとより一年をつうじてたびたび訪れているところだ。
描かれるのは、東京での生活に疲れた中年夫婦が、北信濃の美しい自然のなかで穏やかな人びと交流する生活をつうじて、少しずつ生きる喜びを取り戻していく姿を描く物語だ。
これといった事件はないけれども、私にとっては、懐かしい暮らしと心の原風景をあらためて思い起こし、心癒されるような美しい映像物語だ。
都会暮らし、田舎暮らしを問わず、誰でも心が疲れたら、日本人の故郷の原風景を描いたこの映画作品に「里帰りしてほしい」。
「阿弥陀堂だより」とは、上田孝夫の生まれ故郷の村の広報誌のコラム記事だ。
上田孝夫と美智子は、東京に住む子のない中年夫婦。孝夫は売れない小説家、美智子は大学病院の有能な医師だった。ところが、臨床医療と研究の激務に追われ続けた美智子は流産をきっかけに恐慌性障害という心の病にかかってしまう。
都会生活に疲れ切っていて、仕事にも行きづまった2人は、孝夫の故郷である北信濃の谷中村へ移住することを決心した。
2人はこの村で、村の死者がまつられた阿弥陀堂で暮らしているおうめ婆さんなど、さまざまな人々と出会う。咽喉の難病で声を出すことができない若い女性、小百合は、おうめが日々思ったことを聞き取って書きとめ、簡潔な文章に起こして村の広報誌に「阿弥陀堂だより」として連載していた。
そして孝夫の恩師の幸田老人は、患っている胃癌が末期状態にまで進行しているのだが、終末治療を拒みながら、苦痛を顔に表すことなく、静かに従容として死を受け入れようとしていた。
孝夫と美智子夫婦は、おうめや子どもたちとの出会い、村人たちの交流、そして何より美しい山野の自然と季節の移ろいのなかで、人の生と死を見守りながら、少しずつ心を癒していくことになった。
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