イタリアのユニークな《近代史》は、日本の学校の歴史教育で得た知識では、まったく理解できないと思います。
イタリアでは、近代はもう千年近くも続いているのです。
そこで、20世紀前半にイタリアでファシズムという特殊な運動・思想が政治権力を掌握しするにいたる(長い長い)歴史的背景について、この「長期の近代史」の視点から、ごく大雑把に見ておきます。
イタリアを中心とする地中海では、すでに11世紀頃から世界貿易のシステムが出現し始め、世界経済の形成が始まっていました。
イタリアでは、世界市場で利潤を追求する経営階級(商業資本家)が、各地方の軍事的・政治的権力を掌握して、都市国家をつくり上げ、互いに競争するという意味での「近代=資本主義」は、すでに12世紀ないし13世紀に目立つようになります。
地中海の西部では、カタルーニャ(当時まだエスパーニャには属していない)のバルセローナの商人層が、やはり地中海世界貿易に乗り出そうとしていました。
北イタリアでは、たとえばヴェネツィアやジェーノヴァ、ミラーノなど、特権的な富裕商人の門閥が支配する有力諸都市が、周囲の小都市や農村を統治領域(コンタード: contado)として囲い込み、排他的に支配する仕組みを創出し始めていました。
「国家の領土」という観念が西ヨーロッパに普及するのが18世紀ですから、きわめて速い出現です。
最有力のヴェネツィアを頂点として、これと並ぼうとするジェノヴァ、フィレンツェ(のちにミラノが有力な公国として加わる)などの北イタリア諸都市の遠距離貿易商人たちは、地中海世界経済を舞台に覇権の争奪戦を演じていました。
産業(製造業)の寡占支配ないし独占、企業活動の世界化、植民地支配、帝国主義などというエレメントは、そのときすでにかなり洗練された制度や形態を生み出していました。
その意味では、北イタリアは当時のヨーロッパで経済の最先端を走る、最も豊かな地域でした。
しかし、今日イタリア共和国として1つの国家・国民にまとめあげられている地理的空間は、その頃、数百にもおよぶ独立の政治体(独立の軍事的単位として振舞う都市国家、侯国、教皇領など)に分裂していました。
もっとも、その時代のヨーロッパは、政治的には、フランスもドイツも、数百にもおよぶ公領(公国)や伯領などに分裂していたのですが。
現在のモナコ公国よりもずっと小さな政治体(軍事単位)が分立割拠して、相争っていたのです。
ガリア(フランス)とかイベリアの強大な王権は、そういう諸侯(領主たち)の同盟に上に乗っかって成立していました。同盟が崩れれば、あっという間に、王権は崩壊しました。
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