しかも、20世紀になると、金融上の国際的な緊密化がさらに進み、大がかりな技術革新と機械化の波が全産業におよびました。その結果、経済的競争は国際化し熾烈の度を高めました。
国内でも製造業や商業での寡占化や集中が進み、農業でも経済資産の集中・集積が進み、階級闘争が激化していきます。
伝統的な支配階級や新興の経済的支配エリート層は、焦燥感に駆られながらも、国際的競争や国内闘争の熾烈化になかば呆然となり、有効な社会統合=国民的統合の政策路線を提示できなくなっていたようです。
そこに、挫折した左翼と右翼、そして目端の利く中間管理層や欲求不満をつのらせた異端派の運動がたまたま融合して、ファシズムの潮流が生まれ、勢力を拡大します。
ムソリーニ自身は、20世紀はじめには社会党の左派に属していました。
ムソリーニのような左派と右翼は、政府に対して共通の要求をもっていました。
国家の社会への全面的介入によって、
所得や資源の再分配を組織して諸階級の統合(敵対や格差の緩和・調整)を実現し、
国際的・対外的には攻撃的な政策を打ち出し、国外・海外に資源調達市場と販売市場を確保し、
イタリアの通商上・産業上の優位を達成する、
という手法では同じ発想に立っていました。
そのスローガンはなかなか魅力的で、人びとの不満や不安の受け皿になりました。
そして、既存の、そして新興の支配階級が政策的な手立てを見失い、社会の分裂が続く危機状況のなかで、ファシスト団体は、いわば政治上の奇襲攻撃によって権力を獲得していきました。
ファシスト党は政権を握るや、国家による産業への介入・支援を強め、また北アフリカへの侵略を開始して、短期的な視点から見れば、イタリアの国際的地位を強化していきました。
そして、国内の行政機関や経営体、警察諸組織、軍隊のなかでファシストのエイジェントとして動く「粗暴な人間集団」を取り込み、結社化して、かりそめのヘゲモニーを握っていきました。
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